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●ウクライナ共和国 ウクライナきょうわこく

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 ソ連(ソヴィエト社会主義共和国連邦)を構成していた共和国の一つ。アゾフ海・黒海に面し,おもな地域はドニエプル川流域にひろがっている。面積は約60万平方kmで,日本の約1.6倍。人口は約5,200万人(1996年)。住民はウクライナ人73.6%,ロシア人21.1%,ユダヤ人1.3%,その他で構成されている。農業・工業とも盛んで旧ソ連のなかでは,ロシア共和国につぐ重要な位置を占めている。首都はキエフ。

【歴史】この地方は古代から諸民族の交錯する場所となり支配者が複雑に交替してきた。このような歴史のなかで最初の政治的統一が実現されたのは,9世紀末のキエフ公国の成立によってである。キエフ公国は最初のロシア国家の建設である。キエフ公国はドニエプル流域のウクライナがその中心であった。12〜13世紀になると遊牧民の侵入が続くようになり,キエフ公国は荒廃していった。そして,最終的にはモンゴルに征服され崩壊した。14世紀に入るとウクライナはポーランド王国とリトアニア公国に占領され独立を失った。ウクライナの農民は辺境に逃亡し独立運動を継承した。17世紀になって独立運動は成功し,ロシアとともにポーランドなどと戦い,しだいにウクライナの領地を回復していった。しかし,ロシアに主導権を奪われ植民地化していった。このような状況下において,恵まれた気候・土壌・地下資源を生かして急速に発展していった。そして,19世紀末にはヨーロッパの穀倉としての地位を確立した。工業の面においても,ドンバス・クリボイログを中心とした重工業が発達し,ヨーロッパの先進的工業地域を形成した。このような資本主義的発展は労働者階級の団結を生む要因となり,1903年にはロシア最初のゼネストが,ウクライナ全域にわたって行われた。革命政党間の戦いも含めて国内戦が展開されたのち,1919年にウクライナ社会主義共和国が成立した。続いて,1922年にソ連邦の結成に参加した。ウクライナは第二次世界大戦においても,独ソ戦の最大の激戦地となり,莫大な人的・物的被害を受けた。

【産業】ウクライナの黒土地帯は小麦生産地域として有名である。しかし,豊作のときと凶作のときの差が大きく安定した収量を得るところまではいっていない。水・風による土壌の侵蝕が続き,耕地が減少する傾向にあり,農業の集約化の方向が模索されている。この方向での努力の一つとして灌漑地の拡大があウ,ウクライナにおいては,1965〜1980年のあいだに,4倍に拡大している。現在ではこれを発展させた農工コムプレックス(APC)が推進されている。APCは農業生産・加工・生産手段など生産の部門が統合して集団を構成している。キエフのAPCでは,農業と農業機械の生産・修理・微生物工業・配合飼料工業・農産物の1次加工工業などが構成体をなしている。ウクライナは鉱工業も盛んな地域である。ドネツ炭田の石炭とクリボイログの鉄鉱石・マンガンを結びつけた鉄鋼コンビナートは,旧ソ連においても最大のものである。

【生活】旧ソ連の食糧生産は主としてコルホーズとソフォーズで行われていた。しかし,農業不振以後,個人副業経営も制限緩和と奨励によって盛んになってきている。現在ウクライナでの畜産物生産比重で,個人副業経営は30%に達している。ルイナクと呼ばれるコルホーズ市場では,個人副業経営の生産物が活発に取り引きされるようになっている。