●宇喜多秀家 うきたひでいえ
アジア 日本 AD1573 室町時代
1573〜1655(天正1〜明暦1) 安土桃山期の豊臣系大名。宇喜多直家の子で備前国岡山に生まれ,幼名八郎。初名は家氏。父直家の死後1582年(天正10),毛利氏との戦いで羽柴秀吉の推挙をうけ,信長より家督相続が許され,秀吉の一字をもらって秀家と改める。その後,四国攻略・九州征伐・小田原征伐など,秀吉の国内統一戦に参加し,そのため右近衛中将・参議をへて,権中納言から,1597年(慶長2)には五大老の一人に抜擢されている。また朝鮮征略軍の督軍となっている。秀吉の死後は,石田三成にさそわれ反家康派となり,関ケ原の戦いでは西軍方として参加。敗北後に島津氏をたより,島津忠恒の助命で上洛,死罪をまぬがれて久能山に幽閉され,ついで1606年八丈島に流刑,在島49年で流人として死す。死後,休復明神として祭られている。彼自身は,戦争より詩歌を好む人であった。島には父子3人下僕10人連行したといわれる。剃髪し政之といい,のちに休復と称したという。