●ウォード
アジア 日本 AD1831 江戸時代
1831〜1862 中国名は華爾。清末,太平天国軍に対抗するため練成された「常勝軍」の創設者。アメリカマサチューセッツ州セイラムで生まれ,15歳で船員となり中国ヘ。帰国後1847年にヴァーモントの陸軍学校に入学したが卒業できず,再び船員となり,10年間世界中を放浪した。1859年再び動乱中の中国へ渡航し,翌年上海に到着。時あたかも太平天国軍が上海に迫っており,鎮圧は商人の楊坊らにゆだねられ,約200人の外国人部隊を募った。これを基盤にイギリス軍の支持を得て中国人傭兵を西洋人教官によって訓練し,3,000人の部隊をつくった。1862年に楊坊の娘と結婚して中国に帰化。同年上海に迫った太平天国軍をイギリス・フランス軍と協力して撃破し,その功によって清朝より参将に任ぜられ,部隊は皇帝より「常勝軍」と命名された。その半年後,浙江省慈渓県を攻撃中に被弾し,寧波で死亡した。常勝軍はこれ以後,イギリスの軍人ゴードン(ゴルドン)が指揮官となった。