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●ウェーバー,M.

アジア ベトナム社会主義共和国 AD1864 グエン朝

 1864〜1920 ドイツの社会科学者。中部ドイツのエルフェルトに生まれ,ベルリンで育つ。ハイデルベルク・ベルリン・ゲッチンゲンなどの大学で法学・経済学・歴史学を学び,1891年からベルリン大学私講師,フライブルク・ハイデルベルク大学教授を歴任。1903年神経疾患のため一時教職を退いたが研究は続け,かたわら雑誌「社会科学及び社会政策アルヒーフ」の編集主幹をした。1914年第一次世界大戦が始まると兵役を志願し,退役後政局を批判する時事発言をして一時政治家になろうとしたが断念,ミュンヘン大学の教壇に立ち56歳で病死。現実に即して人文・社会科学のほとんどすべてに通じた巨大なドイツ的人物。初め歴史研究から入り,若いときの経済法制史と農制史の研究は最後の講義『一般社会経済史要論』で完成したが,のちリッケルトら哲学者と交わり,個別化と一般化,具体的なものと法則的なものを総合する社会科学の理論体系をつくった。その特徴はまず歴史学と社会学の接点として「理念型」を考えたことで,歴史事象から一つの理想型を取り出しそれを範として事象を説明する。その思考法は名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1905)によく表れている。プロテスタントの禁欲的な職業使命観が資本主義の発達を促したという理念的解釈である。経済史家はこれに反対して論争がおこった。彼のテーマは近代ヨーロッパの合理主義の解明で,他宗教との比較を通して大著『世界諸宗教の経済倫理』(1915〜1918)・『経済と社会』(1919〜1920)を書いた。ヨーロッパの固有の問題としては,近代社会で官庁・企業・工場・軍隊・教会・政党・学校などで,運営が分業化し合理化されて能率本位になると,個人が組織の歯車になる一種の「疎外」をひきおこすという。これは資本主義社会にも社会主義社会にもみられる現象で,それを見抜いた意義は大きい。なお『社会科学ならびに社会政策的認識における客観性』(1904)において科学的認識における没価値を主張したことも有名。彼の著作のほとんどすべては死後,夫人マリアンネを中心に編集されたもの。