●ヴェトナム
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インドシナ半島の南シナ海沿岸地域,ヴェトナム社会主義共和国の通称。【地理・民族】古くから半島東北部の紅河デルタに居住し,ヴェト族を称したヴェトナム人は,11世紀以降,南方のチャム族やクメール族の領土を蚕食して南進し,18世紀には半島南部のメコン川デルタまで進出して現在にいたった。その版図はほぼ北緯23度50分から8度50分に及び,亜熱帯から熱帯まで南北1,500kmにわたって細長く伸び,北は中国の広西・雲南両省と,西はラオス・カンボジアと国境を接し,南西はシャム湾に臨む。全土を通してモンスーン地帯型の気候で,1年は乾季と雨季に分かれ,年間降水量は平野部で1,800ミリ前後に及ぶ。中部以南は高温多湿で森林の繁茂が著しく,南部では熱帯樹がマングローブを形成する。南北のデルタは水稲耕作が盛んで東南アジア有数の穀倉地帯である。ほかに蜀黎・茶・煙草・胡椒などを多く産出する。熱帯性果樹も豊富で,かつての南部は大規模なゴム林の植培で知られ,北部山岳地帯は鉱物資源に富む。総人口は約5,000万。その84%をヴェト族が占め,他に53以上の少数民族を数える。少数民族はヴェト族と同系統のオーストロアジア語族のほか,シナ=チベット語族やマラヨ=ポリネシア語族に属し,都市部に住む漢族と中部以南の平地に居住するチャム族やクメール族のほかは,おおむね北部と中部の高地に分布し,焼畑農業を行っていた民族が少なくない。ヴェト族は水稲耕作に従う農耕民族として発展したが,中国と密接にかかわる歴史を歩んだために,漢字文化圏への南辺民族として開化し,ヴェトナム国内のみならずしだいに半島全域において重要な地位を占めるにいたった。
【歴史】民族国家の発祥は,ドンソン文化の名によって知られる青銅器時代に遡る。ヴェトナム人による先史学の研究では,中国の戦国期にラクヴェト(貉越)と称するヴェトナム人の祖先が青銅器文化を背景に,中部ヴェトナム北辺から紅河デルタにかけて部族連合国家を形成していたが,やがて北方からの圧力を前に,半島東北部の種族オウヴェト(欧越)と統合して民族形成はその最終期に入り,古代王国欧貉が誕生したとされている。欧貉は秦末に番禺に建てられた中国人の分権王国南越に従属し,前111年,漢の武帝の南越征討後は,漢の交阯・九真二郡の民として漢人に支配された。以後は後漢および六朝末期における短期の独立を除き唐末までの約1,000年間,交州または安南と呼ばれ,中国の属領としての歴史を歩んだ。唐滅亡後に独立の気運が高まり,965年に丁朝が成立し,国号を大瞿越と称えて独立した。丁朝とこれにつぐ前黎朝はともに短期の統治をもって終わり,1009年に最初の安定政権として李朝が成立し,都をハノイに定め,国号を大越と称えて中国風の政治を行った。また仏教を保護し独自の漢字文化をおこしたが,地方豪族勢力の台頭で力を失い,1225年陳氏が謀略によってこれに代わった。陳朝は前朝以上に中国の諸制度を採用して中央集権を強化し,3度にわたる元寇を撃退し盛んに南方のチャンパを征討したが,1400年に権臣黎氏の簒奪によって滅びた。黎氏の胡朝は,この政治変動に乗じて侵略した明の永楽帝の遠征軍によって倒れ,ヴェトナムは再び中国の属領となったが,陳朝に培われた民族意識は明軍に対する激しい抵抗を生んで,明軍を撃退し,1427年に抵抗運動の指導者であった黎利が黎朝をたてて独立を回復した。黎朝は四代聖宗の治世まで王朝権の強大な時代が続き,聖宗は南征してチャンパの王都ヴィジャヤを陥し,しだいに領土を南に拡張する勢いにあったが,粛宗以後皇帝権力が揺らぎ,1526年に莫氏の簒奪によって一時その皇統は中断した。1532年阮淦が荘家を奉じて黎朝中興を果たし,莫氏の勢力を北方に駆逐したが,17世紀に入って阮淦の子孫である広南の阮氏と,黎の実権を握った女婿鄭檢の子孫である鄭氏がそれぞれ王を称して南北に対立して抗争し,黎帝は名目のみの存在となった。1773年阮氏の領内に蜂起した西山党は阮氏と鄭氏を相ついで滅ぼし,1789年に清国の介入を頼んで政権維持をはかった黎朝の愍帝が,入関した清国軍の敗退と同時に国外に逐われると,黎朝も倒れて天下は西山党の指導者である西山の阮氏に帰した。しかし,滅亡した広南阮氏の宗族である阮福映は旧臣を集めて西山軍と抗争し,宣教師を通じてフランスのルイ16世を頼り,仏国軍人の力を借りて国内を統一し,1802年に阮朝を創立した。阮朝は李朝以来の国号大越を越南に改め,清国の諸制度を積極的に採り入れて民族史上最大の版図をもつ専制国家をつくりあげたが,1858年以降フランスの侵略を許し,1884年条約で最終的にフランスの保護国となり,1887年に仏領インドシナ連邦の一部となった。仏領期には最初から抗仏独立運動が盛んで流血事件も相ついだが,1930年にインドシナ共産党が創立され,民族運動の主流はその指導のもとに入った。共産党は,1943年に民族統一戦線越南独立同盟(ヴェトミン)を組織し,フランスと1940年以後インドシナに駐留し,1945年3月に阮朝に仮の独立を与えた日本軍に抵抗していたが,8月に日本が太平洋戦争に敗れると全土で蜂起して阮朝から権力を奪取し,ヴェトナム民主共和国の独立を宣言し,これを承認しないフランスと1946年から1954年までインドシナ戦争を戦ってその再侵略を退けた。戦後,半島諸国の独立を議するジュネーブ国際会議で,ヴェトナムは北緯17度線で暫定的に南北に分断され,北の民主共和国に対して,米国の援助を背景にヴェトナム共和国が南方を支配した。しかし南政権がジュネーブ協定が定めた1956年の統一選拳を拒否しつづけたため,南北間に激しい対立と緊張が生じ,1960年代に入って米国が直接に問題に介入したため,国際的な東西対立の代理戦争としてヴェトナム戦争が始まり,戦火は南北全土に及んだ。駐留米軍は1966年に50万を超えたが,戦況が不利に展開するなかで米国は,1973年に南ヴェトナムの解放勢力および北ヴェトナムとパリで和平協定に調印し,駐留軍の撤退を開始した。和平協定は民族内部の段階的和解をとりきめていたが,1975年にヴェトナム民主共和国が武力で南政権を倒して全土を解放し,1976年に南北を統一したヴェトナム社会主義共和国が成立した。
【社会・文化】現代の社会と文化は体制の変革により急速に変容している。もともと土着の信仰や伝統的な風俗と習慣には,民族文化が古くはオーストロネシア系民族の文化と混交して成った痕跡がうかがわれた。また歴史時代に入って南方からインド文化を吸収するとともに,長期にわたる中国人の直接・間接支配のあいだに中国文化が浸透した結果,複雑な重層文化を構成していた。その社会は,祖先崇拝を中心とする父系的族長家族制を基礎にして成り立っていた。儒教的価値観と倫理に支配される一方で,東南アジア諸地域にみられる双系社会制の名残りが,女子の権利を尊重する社会慣習に保たれていた。涅歯や檳榔子を噛む習俗も最近まで伝えられ,15世紀ごろから発達した村落共同体では自治機能を有する自律社会が形成され,国家権力が村落の秩序に及ばぬ特異な慣習も成立していた。農村では現代まで精霊崇拝や土地神守護神信仰が盛んに行われ,巫道の習俗も宗教生活の重要な一部であったが,国民的宗教となっていたのは仏教である。6世紀以後,中国から伝来した仏教は初期の独立王朝に保護されて盛んとなり,15世紀ごろより民間に普及してこの国を東アジア唯一の大乗仏教国としたが,同時に中国の民間信仰や道教も伝播し,やがて俗化した仏教と儒教・道教が混合し,近世に三教混交の特異な宗教形態が生まれ,仏教信仰のなかに大きな位置を占めていた。近代以前では漢字を正式の文字とし,11世紀ごろまでに独自の字音も成立した。その言語には中国語からの借用語彙が多いが,民族文字(チューノム)による表記も古くから行われた。芸術分野にも漢字文化の影響が色濃く,文学では伝統的に漢詩文が尊重されて主流を占め,チューノムを用いて書かれた韻文も中国詩の律格を模倣したり,古典的作品には中国文学の周辺文学として成立しているものが少なくない。17世紀に宣教師が考案したローマ字表記法が普及すると,漢字とチューノムは用いられなくなり,現在では独特のローマ字クオックグーが常用の文字となっている。
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