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●上杉憲実 うえすぎのりざね

ヨーロッパ 英国 AD1410 ランカスター朝

 1410/11月〜1466(応永17/18〜文正1)室町時代の武将。越後の上杉房方の子として生まれ,関東管領上杉憲基の養子となる。幼名を孔雀丸。号を高岩長棟庵主。1419年(応永26)憲基を継いで執事となった。鎌倉公方足利持氏は関東を専制化しようとして将軍足利義教と対立し,幕府との協調をめざす憲実は,両者の調停にたびたび乗り出すこととなった。これにより憲実と持氏とのあいだに不和が生じ,1438年(永享10)憲実は鎌倉から上野に退去。持氏は憲実追討のため武蔵国府中に出兵した。これに対し,幕府は憲実救援のために今川範忠らに出兵させる。持氏の軍は敗れ,憲実は持氏の助命を願ったが,将軍義教は持氏を自殺させた(永享の乱)。その後憲実は出家し,伊豆の国清寺に隠居したのち,弟道悦とともに諸国をめぐる。長門にいたり大内氏を頼んで余生を送った。学問を好み,永享年間(1429〜41)に領内に足利学校を再興したことでも知られる。