●上杉鷹山 うえすぎようざん
ヨーロッパ 英国 AD1751 ハノーヴァー・ウィンザー朝
1751〜1822(明和8〜文政5)日向国真鍋城主秋月種美の次男として江戸に生まれ,1760年(宝暦10)上杉重定の養子となった。1767年から85年(天明5)にかけて米沢藩主として,その後は藩主治廣の後見役として政治運営ににらみをきかせた。そのころ米沢藩も他の諸藩に異ならず財政難にあえいでいた。鷹山は自らすすんで節倹の範を示し竹股当綱・在戸善政らを重用し政治の改革にあたったが,農村の産業振興策にはとくに力を入れた。なかでも製糸事業の振興に力を尽し,その結果米沢の絹織物は江戸で声価を高めた。もっともそうした産業をおこすためにその費用を藩内外の豪商に頼った。酒田の本間家,越後下関の渡辺三左エ門などである。こうした改革は,なるほど藩の財政難を救う上で一定の評価ができるが,しかしそのために藩内の反対派重臣の追放などトラブルが絶えず,また豪商が一藩の生産流通の支配をめぐって政治に影響を与えるなど藩政の根幹に動揺を与えた。