●上杉景勝 うえすぎかげかつ
アジア モンゴル国 AD1555
1555〜1622(弘治1〜元和8)戦国大名・五大老の1人。1555年越後上田城主長尾政景の次男として生まれる。母が輝虎の姉であったこともあって,1559年(永禄2)5歳のとき輝虎の養子となり輝虎に養われる。通称は喜平次,武田作玄の娘を娶る。1579年(天正7),御館の乱で北条氏康のところから輝虎の養子となった景虎を倒した。このとき武田勝頼は景勝を援助した。そのころ織田信長は柴田勝家を擁して北陸方面の攻略に乗り出したため,景勝は武田氏と同盟して越中・加賀に兵を出して信長勢力と対峠した。1583年(天正11)以降しだいに秀吉に通じ,1590年の小田原征伐に参加している。1597年(慶長2)五大老の1人となったが,翌年越後春日山(55万石)より会津(120万石)に移された。1600年,石田三成とともに徳川家康を討とうとして敗れ(関ケ原の役),越後・米沢30万石に減封された。1603年家臣直江兼続によってつくられた藩法は,上杉景勝式目13カ条として知られる。