●ウィッテ
アジア スリランカ民主社会主義共和国 AD1849
1849〜1915 ロシアの政治家。オデッサ大学卒業後,ジャーナリズムに関係したが,1889年大蔵省鉄道局長,1892年運輸相,1893〜1903年蔵相,国内工業の保護・外国資本の導入による工業の振興をはかり,インフレを抑制した。また,鉄道の発達に努力し,シベリア鉄道を完成させたほか,ウォッカ専売・金本位制確立などを行う。1905年日露戦争の講和会議にロシア全権となり,功により伯爵。第一次ロシア革命で農地改革と憲政実施の必要を説き,十月勅令を起草,1905年11月内閣議長(首相)となったが,革命情勢がおさまると,その譲歩が大きすぎたとして,1906年4月辞職させられた。その著書に『回想録』3巻(1907〜12)がある。第一次世界大戦ではドイツとの戦争に反対,単独講和を主張した。
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