●ヴィシンスキー
ヨーロッパ オーストリア共和国 AD1883 オーストリア=ハンガリー帝国
1883〜1954 ソ連の法律家・外交官。1902年ロシア社会民主労働党に入り,革命連動に参加,しばしば逮捕される。1913年キエフ大学卒業。1920年ボリシェヴィキに入党,1923年ロシア共和国検事兼司法人民委員代理,1925〜28年モスクワ大学学長,学術会議議長などを歴任。1933年連邦検事,1935〜39年連邦検事総長となり,スターリンの大粛清時代の公判に鋭い論告を下す。1939年副首相,1940年外務次官に転じ,第二次世界大戦前後の複雑な国際関係に対処,1949年3月〜53年3月外相として,冷戦に対処するため平和攻勢外交を推進,その後,外務省首席次官兼国連常勤代表をつとめた。法理論家としては,1920年代のクルイレンコらの法理論に対し,「適法性」を主張。死後,スターリン批判(1956)に際し批判を受ける。