●院庁 いんのちょう
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上皇や女院の院務を執行する機関。984年(永観2),円融上皇が院庁始を行ったころに主要な機構が成立した。院庁の職員を院司といい,別当・年預・判官代・主典代などがあり,別当が院務を統轄した。本来は院の家政機関であるが,11世紀末の白河院政の開始以後,その組織は拡大され,別当も最初の5人から20余人としだいに増加し,院近臣が多くその地位を占めて院政の推進力となった。そして後白河院政のときには,源義仲に平氏追討の,藤原秀衡に源頼朝追討の院庁下文を発するなど国政運営の一端をになうにいたった。鎌倉時代には院中に評定衆・伝奏などをおき,政務の評定・訴訟の処理や上皇と外部との連絡などにあたったが,やがて院政の哀退に伴い院庁の機構もしだいに縮小された。上皇の意志や命令は,院宣とこの院庁からだされる院庁下文によって伝えられた。女院の院庁については,摂関家の東三条院・上東門院などの例がはやいものである。