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●インノケンティウス3世 インノケンティウスさんせい

ヨーロッパ イタリア共和国 AD1160 両シチリア王国

1160〜1216 第177代ローマ教皇(在位1198〜1216)。イタリア人で,英語ではインノセント(3世)と称する。若くして神学と法学を修め,枢機卿をへて教皇に選任されるや,グレゴリウス7世以来の教権統治思想を継承し,教皇権の強化・拡大につとめた。まず神聖ローマ皇帝位をめぐる1198年以来のドイツ諸侯の争いに干渉し,初めはオットー4世を,ついで彼が反抗するとフリードリヒ2世を,それぞれ帝位につけ,皇帝権に対する教皇権の優位を示した。この間,1201年,離婚間題でフランス王フィリップ2世にインターディクト(聖務禁止の罰則)を下したほか,カンタベリー大司教の任免をめぐってイングランド王ジョンと対立,1209年彼を破門し,のち屈服させた。また,フランチェスコ派ドミニコ派の托鉢修道会を保護育成する一方,南フランスのアルビジョワ派に対し十字軍を提唱し,異端抑圧を行った。第4回十字軍(1202〜04)には失敗したが,1215年ラテラン公会議を開催,教会規律や教義に関して,重要なとり決めを行った。なお,この公会議に際して,教皇を太陽,皇帝を月にたとえる演説をなしたことは有名である。いわば中世における教皇権の最盛期を体現した人物であった。