●インドネシア諸族 インドネシアしょぞく
AD
文化人類学上の概念としてアウストロネシア語族の一語派であるインドネシア語系統の言語を用いる諸族をさす。この言語の分布は広く,東南アジア島嶼部およびマライ半島を中心にして,北は台湾(高砂族),東はイリアンジャヤ北部,西はマダガスカル島(メリナ族など)に及ぶ地域で話されている。インドネシア諸族の中心をなすのは広義のマライ民族であり,人種的には古モンゴリーデに属し,大陸部から数次にわたる民族移動によってこのように広大な地域にひろまっていったと考えられる。民族移動の経路と時期に関しては不明な点が多いが,最初の移動は紀元前4000年のころに始まると推定するものもある。移動のあいだには他の人種系統との混交もおこり,そのため形質的に均質ではない(東部インドネシアではメラネシア型の要素も認められる)。フィリピン(アエタ族など),マライ半島(セマン族など)などの奥地に姿をとどめているネグリート系の採集狩猟民はマライ系渡来以前の先住民の名残りであるとされる。マライ民族は一般にプロト(旧)=マライと新マライに分類されるが,人種的には両者の区別はあまり明確ではない。プロト=マライは山地部でその独自の文化を維持してきた農耕民であり,ボルネオのダヤク族,スラウェシのトラジャ族,フィリピンのイフガオ族などがその典型である。一方新マライ人は紀元初期のころからヒンドゥー文化などの高文明の影響を受け,交易に携わっていた者もみられる。マレーシアに住む狭義のマライ人,ジャワのジャワ族,スラウェシのブギス=マカッサル族,フィリピンのモロ族などがその代表である。【物質文化】インドネシア諸族の文化は非常に多様であり,概括するのは容易ではないのでマライ民族を中心にその主要な特徴を述べる。基本的生業は農業であり,稲作を中心にアワ・キビ・モロコシなどの雑穀および若干のイモ類を栽培する。稲作は技術的にみて灌漑施設を伴う水田耕作と焼畑耕作に大別される。ジャワ,ルソンなどの平野部では犂を用いて集約的な水稲耕作が行われ,一方スマトラ,ボルネオなどの山地では焼畑による粗放な陸稲耕作がみられる。物質文化のなかで特徴的なものは“いざり織機”と“アウト=リガー=カヌー”であり,稲作と同様にインドネシア諸族のほぼ全域に分布している。
【社会組織と宗教】親族組織に関しては一般に単系出自集団は形成されず,双系原理が強く多くの社会で“キンドレッド”(シンルイ)が重要な役割を果たしている。しかし東部インドネシアの一部と北部スマトラのバタック族などにおいては父系出自集団が,中部スマトラのミナンカバウ族では母系出自集団が存在し,社会の基本単位となっている。ヒンドゥー文化の影響を受けてジャワでは4〜5世紀ごろから王国が形成され,その後ガムラン音楽などの宮廷文化や身分秩序の体系が発達した。また海上交通の要所となった港には交易を基盤とした小国家も生まれた(スラウェシのブギス=マカッサル族など)。一方ジャワとバリを除く島々の内陸部においては平等的な社会秩序をもった村落を中心に社会生活が営まれていた。ただし一部の地域では行政機構は未発達ながらも首長を頂点とした階層制を有する社会がみられ,村落を越えた政治単位が形成されていた。このようにインドネシア諸族は政治的統合のレべルにおいても変異に富み,またその変異は必ずしも農耕のレベルの点から説明されるわけではない。イスラームやヨーロッパなどの外来文化の波を受けて,今日多くのインドネシア諸族はイスラーム教化(おもにジャワ)またはキリスト教化(おもにフィリピン)している。しかし,その宗教生活の基底には祖先祭祀とアニミズム的要素がいぜんとして色濃く残っている。
〔参考文献〕クンチャラニングラット編『インドネシアの諸民族と文化』1980,めこん