●インド省 インドしょう
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イギリスがインドを支配していた時期に本国に置かれた所轄官庁。1858年インド大反乱後,東インド会社のインド支配が終わり,イギリス国王の直接支配の始まりとともに設置され,1947年8月15目,インド・パキスタンの独立により解体した。1857年以前にはインドは東インド会社により統治され,それをイギリス政府の監督局が監督するという仕組みであった(インド統治法)。1857年のインド大反乱(セポイの反乱)の結果,その責任を負った形で1858年2月の統治法により,東インド会社によるインド統治は終息した。この結果,インド担当大臣と参事会が設けられ,このもとに監督局や東インド会社本社の人員が合体して,インド省が官僚機構として設置されたのである。実際には,それまでの機構を出来るだけ変更されぬよう配慮されたために,事務的な処理業務のやり方は東インド会社時代とほとんど変わらなかった。インド省に関与した重要な人物としては,インド歴史の研究家として重要なサー=ジョン=ケイがいる。このほかにもアーガイル・ソールズベリ・ハッティントンのようなイギリス政治史上の大物がかかわったため,イギリスのインド統治は,インドの政治状況を反映する以上に,イギリス本国の政治の動向が影響してくるようになったのである。また,インド省を賄う費用はすべてインド行政費としてインド側からの出費である特殊な省であった。このため,この費用がほかの種々の出費とともにインドからの搾取の一つであるとして,のちにインド民族運動の指導者などから批判を俗びる結果になった。設置以来のインド省は,インド統治関係の事務全般の処理をイギリス議会・内閣・インド政庁のつながりを保ちつつ行ってきた大変重要な機関である。インドにおける官僚機構として,現在におけるまで重要な意味をもつものは,インド高等文官(Indian Civil Service,独立後はIndian Administration Service)であるが,この機構の発展にもインド省は大きな役割を果たしている。たとえば,1895年にはインド高等文官試験をイギリス本国の高等文官試験とリンクさせ,それまでイギリス人にとってやや魅力の薄れかけていたこの試験を,イギリス人の優秀な学生にも魅力あるものにしようとしたのはインド省である。インド省の大きな改革は,1919年と35年のインド統治法による。19年法ではインド統治関係の本国での経費を,ほぼ本国側負担に改めたこと,本国の参事会の構成・権限を縮小したことが大きな変更である。またインド政庁の本国における代理として,インド省が行ってきた(インドからみれば)出先業務を行わないこととした。この業務は,イギリス駐在インド高等弁務官が行うことになった。形式的には,独立国が各国に派遣する大使に似ている。35年法では参事会は廃止されて,代わりに大臣の諮問機関として顧問会を置いた。インド担当大臣の権限が縮小されて,インド皇帝(=イギリス皇帝)の権限に吸収されたことも変革の重要な点である。こうして,縮小をみせていたインド省は,1947年8月15日のインドとパキスタンの独立に伴って解体した。ただし,インド省付属図書館は,イギリス連邦関係省の管轄に移されてロンドンにあり,現在もインド・イギリス関係のみならず,各国の歴史研究者に東インド会社以来の重要な史料を提供しつづけている。
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