●インダス文明 インダスぶんめい
アジア インド BC2350
【規模】現在のパキスタン領内のインダス川流域を中心として,前2350〜前1800年ごろに栄えた古代文明。1921年より始められたサハニのハラッパーとバネルジーのモヘンジョ=ダロの調査によって,インドにアショーカ王時代より以前に文明の栄えていたことが知られるようになる。それ以来,調査がすすめられ,インド・パキスタンの分離独立後もそれぞれの領内で新たな遺跡の発見と発掘,研究が継続されている。本文明を支えた考古学的遺物や遺構の総体は,最初に発見されたハラッパー遺跡の名を取り,ハラッパー文化と呼ばれる。このハラッパー文化に属する遺跡は現在約300ほどが確認されており,その空間的広がりはエジプトやメソポタミアをしのぐ。インダス川を中心として,東西1,600km,南北1,400kmに及ぶ。北はジャムー−カシミール地方のマーンダー,東はデリーの北48kmのアーラムギルプル,南はインドのナルマダー川河口のバーガトラーブ,西はイランに近いマクラーン海岸のソトカーゲン-ドールまでである。しかし,遺跡の分布密度は一様ではなく,三ないし四つの地域にわけられる。第1はモヘンジョ=ダロ,チャヌフ=ダロを主とするインダス川下流域。第2はインダス川上流域であるパンジャーブ地方と現在は涸河床となっているラージャスターン地方北部のガッカル川ハクラ川流域である。この地域は現在,最も発掘と調査が精力的に行われている所で,近年ガッカル-ハクラ涸河床流域にはカリバンガンを主としてほかにも非常に多くの遺跡が発見され,その文化的形成の様相からもハラッパーを中心とするパンジャーブ地方とわけて考える傾向がある。第3の地域はロータル,スールコタダーなどがあるインドのグジャラート地方である。これらの3地域からはそれぞれの地域に特徴的な土器が文明以前から,または以後まで伝統的に継続して出土していて,インダス文明の地域性を示唆している。しかし,広範囲にひろがるインダス文明の遺跡から出土するハラッパー文化の指標遺物は斉一的である。【遺物】遺物のなかで最も多い土器はそのほとんどがロクロづくりである。器形は,胴の下部に最大径をもつものと,大型で尖底の甕,球形や肩の強く張り出す壷のほかに,高杯,ゴブレット,コップ状の杯,碗,盤,鉢,器台,蓋ものなどがある。特徴的な器形としては長胴で平底の多孔土器で,火桶か瀘過器とも考えられている。土器の多くは無文であるが,ハラッパー式土器として典型的なのに甕・壷類に文様を描いた彩文土器がある。赤色の化粧土の上に黒色顔料で描く文様の種類は豊富で,波状文,交差円文,格子目文,市松文,魚鱗文やそれを斜線で埋めるものなど線的な文様から,菩提樹の葉,樹木,葉と孔雀,鹿,魚などの描写的なものもある。また,土器の外表の上部3分の2ぐらいまでを彩色するのもある。これらの文様のなかにはインダス文明以前の「先ハラッパー文化」の彩文土器中にみられる文様もある。土器以外の土製品には母神像と思われる女性土偶や,動物土偶,荷車などの玩具,それに投弾がある。3角形をした小さな陶板(テラコッタ−ケーキ)は用途は不明ながら宗教関係のものかとも考えられている。カンバンガン遺跡では炉に伴って出土し,火に関係した祭祀に用いたといわれている。利器としては石器が主要な機能を果たしていた。石器は発達した石刃技法より多量につくり出される縦長の石刃で,リボン=フレークとも呼ばれるほどで,中には長さ15cmにもおよぶものがある。両側の刃部は平行し,刃を整えたり,潰したりする2次調整は行われていない。銅製品は概して稚拙で,出土量も他の古代文明と比べて少ない。銅でつくられたものでは,器はほとんどなく,斧,鎗先,鏃,ノミが多いものの,実用に堪えうるとは思われないような薄く叩き伸ばしたものである。青銅製品も利器としてはほとんどなく,ただモヘンジョ=ダロ出土の踊り子像は脱臘法でつくられた優品である。人を象ったものとしては男性像ばかりだが,石製のものがあり,うち1体は神官像ではないかとされている。ほかの特徴的遺物としては,文字の刻まれた印章,分銅,金や瑪瑙,紅玉髄,ラピス=ラズリの貴石を使ったビーズが都市遺跡から数多く出土している。
【遺構】人々の暮らす村と都市では残された遺構が違っているのは現在私達の幕らす世界と同様であるが,インダス文明の都市には一定の一様さがみられる。建物の材料は,村落では泥の日乾煉瓦,都市では焼成煉瓦が使われたが,ともにその寸法には規格があり,各辺の比率は約l:2:4である。こうした規格性は都市遺跡の遺構配置に強く表されている。都市遺跡の多くは西に城塞を置き,その東に市街地がひろがっている。モヘンジョ=ダロ,ハラッパー,カリバンガンの場合,西側の城塞は高い基壇に城壁をめぐらした長方形もしくは平行四辺形となっている。モヘンジョ=ダロ,ハラッパーのそれは東西約200〜300m,南北約400m,基壇の高さは現在までの発掘でわかっている限りで約20mあり,より高かった可能性がある。基壇のない型ではスールコタダー,市街地と分離されない型のロータルもある。城塞内,もしくは付属した施設として,穀物倉が主要な構成要素となり,大型の建物やモヘンジョ=ダロでは沐浴場とされるプールがある。城塞は経済を根幹に据えた政治的中心であったと思われるが,金属器の貧弱さが物語るように軍事的なひ弱さはインダス文明の社会・政治的構造を考えるのに重要である。そして,都市や他の遺跡にあっても今のところ神殿や宮殿,王墓らしき建造物は発見されていない。城塞の東側にある市街地はモヘンジョ=ダロ,カリバンガンで,またロータル,スールコタダーでその一部の様相が明らかにされている。街はほぼ東西南北に走る大通りによって碁盤目状に区切られ,それぞれのブロックはさらに小路で仕切られる。そこに壁を接し,多くは共有して家屋が密に建てられている。住宅・家屋はすべて小路に面して建てられ,2部屋から数十室までの大きさがあり,中庭を囲むようにして部屋が並ぶ。大通りの道幅はモヘンジョ=ダロで9m,カリバンガンで7,2mで,その他の道も1.8mの倍数となっている。都市市街地では下水道が設備され,古代文明のなかでもインダス文明の特徴とされる。各家屋からの排水は床下や,2階からの場合は壁のなかを通した土管から屋外に出され,小路の排水路から大通りの蓋付きの溝へ流れる。排水溝は市外に出ることなく,所々の汚水溜りを通過した上澄みを市内でしみ込ませていた。市街地に対して,死者を葬る墓は市外のある場所に墓地をつくる。葬法は北頭位の仰臥伸展葬が一般的で,合葬はあまりない。副葬品は土器が多く,装身具を身につけた例があるものの,各個に社会的格差を示す目立った差異はない。
【産業など】こうした都市文化をおりなす文明の構造は平原を利用した農耕にもとづく農耕経済を根底にしたであろうことのほかは不明瞭で,その文化的出自も不明確である。インダス文明以前にインダス川流域の平原部にはコト=ディジ文化,アムリ文化などすでに文明を築き上げる文化的基盤は準備されていたが,どのようにして文明を築いたハラッパー文化が成熟し,その最盛期にはメソポタミアやイラン高原の地域との海上・陸上交易を行うようになり,そしてそれらとどのような関係をもったのかもやはり明確ではない。インダス文明の衰退と終末についても,また不明な点が多く,その様子も遺跡分布のそれぞれの地域で少しずつ異なっていたと思われ,その要因も一様ではなかったとされる。メソポタミアとの交易を示す遺物からは前1800年ごろにその交渉は途絶えたと考えられ,そのころにはインダス文明自体の活性も弱まっていたであろう。インダス平原では耕地の塩害が農耕に打撃を与えていたと思われ,マクラーン海岸の隆起はシンド地方に水害を生み,重要な交通路である河川の流域変更などがかさなりあって文明は崩壊へとしだいにすすんでいったと考えられている。
〔参考文献〕辛島昇他『インダス文明−インド文化の源流をなすもの−』1980,NHKブックス
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