●イングランド銀行 イングランドぎんこう
ヨーロッパ 英国 AD1694 後期スチュアート朝
1694年設立されたイギリスの中央銀行。その存在意義は、その設立が他国にさきがけて早かったことと、19世紀半ば銀行特許条例によって確立した同銀行の制度が、各国の中央銀行制度の模範となったこととの2点にある。
【名誉革命とイングランド銀行の設立】1694年スコットランド人のウィリアム=パターソンの建議により、国連長官チャーチズ=モンターギュが設立した。そのころまで金融業は「金匠」とか「金貸し」、「質屋」によって営まれていたが、とくに名誉革命後のイギリスは対フランス戦争遂行のため政府としても多額の戦費が必要で、安定した金融機関が待望されていた。名誉革命はいろいろな意味でイギリス近代の始まりとされているが、政府財政の点でも「財政革命」の名の通り、国王に私的に金を貸すといった性格の公債ではなく、責任ある議会に融資する公債という考え方が人々のあいたに生じた。それが背景となって同行が設立されたわけである。もっとも今日の研究者がいうように、当初イングランド銀行は、「どうみても銀行ではなく、むしろ投資信託にはるかに似ており、約1,200人から集められた総計120万ポンドの基金はすべて政府へ貸出され、見返りとして年10万ポンドの収入が保証されるというもの」であった。つまりそれは民間の金融機関というよりも政府のための金融機関としての性格が濃厚であった。投資した人びとも1,000ポンド以上の大口投資者が多く、ロンドン大商人・金融業者・官職保有者が主であった。民間への貸し付けも東インド会社や南海会社などへのものが多かった。政府への貸付金が結局は重商主義的植民帝国を建設するための対フランス戦費に充当され、しかもおもな投資先が貿易会社であったことは、当時のイングランド銀行がイギリス商業革命を支えていたことを示している。
【1844年のピール銀行条例】イングランド銀行は18世紀後半以後、地方銀行などと組織的な結合を強化していったが、産業革命以降にはイギリス全体の信用組織の中核としての地位を明確にしていった。1826年と1833年の条例によって地方支店の設置とイングランド銀行券の法貨化が認められ、さらに1844年には首相ピールによって制定された銀行特許条例によって、中央銀行としてのその地位をいよいよ強固なものとした。銀行部のほかに発行部が置かれ、紙幣の発行もおもな業務とされた。このため、紙幣の発行はいきおいここに集中し、独占的な中央発券銀行としての性格も強まった。この後半世紀ほどのあいだにイングランド銀行は徐々に、一般の銀行業務と利潤動機とを放棄し、国家の銀行としての義務を身につけていった。こうして各国中央銀行の範としてまことにふさわしいものとなった。19世紀末からは、金貨流通本位制の確立によって、中央銀行としての役割はいよいよ増大するとともに、ロンドン金融市場の国際化に伴って対外準備防衛にも強い関心をはらう世界の銀行となった。
【第一次世界大戦後・最近の状態】第一次世界大戦を契機としてイギリス経済の国際的地位が低下すると、イングランド銀行の地位もまたそれに従った。第一次世界大戦で金本位制がくずれ、1931年にはイギリスも金本位制を離脱し1939年には管理通貨制への移行といった措置がとられたが、これらはいずれも、金融、通貨業務のにない手であったイングランド銀行への政府・国家権力介入の度合いを大きいものとした。第二次世界大戦後1946年に労働党内閣はイングランド銀行をも国有化したが、それは第一次世界大戦後からすでに徐々に準備されてきたことであり、労働党の新しい政策でも何でもない。むしろ国有化は、その後ますます累積していった国債をどう処理するかといった問題などと相まって国家政府の果たす役割をいよいよ増大させ、イングランド銀行の地位がそれだけ弱くなったことを意味しているにすぎない。
〔参考文献〕角山栄・川北稔編『工業化の始動』講座・西洋経済史I、1979、同文館
J=ホブスボーム『産業と帝国』1984、未来社
浜林正夫『イギリス名誉革命史』下、1983、未来社