●イングランド
ヨーロッパ 英国 AD
イギリス(連合王国 United KinGdom)の一部で,グレートブリテン島の中部・南部を含む約3分の2を、いう。インクランドとは,アングル人の土地の意味で,民族大移動で大陸から渡ってきたアングロサクソン人が,だいたい7世紀初めまでに征服・支配した地域をいう。ブリテン島のうち,チェビオット丘陵以北のスコットランドとカンブリア山地のウェルズを除いた平野の多い主要部である。といっても,アングル・サクソン・ジュート諸部族の混成体のみがその住民ではなく,先住ブリトン人もなお各地に残存していた。古くから農牧業が盛んであったほか,石炭など重工業冶金資源にも恵まれ,産業革命の故地として19世紀以来大工業も発展した。歴史的にはデーン人やノルマン人の支配を受けたこともあったが,長年にわたって大ブリテン王国の政治的・文化的支配者をもって任じてきたため,イングランド住民こそはイギリス人であり,連合王国そのものであるとの意識が強く,われわれもまたふつうイギリスとか英国という場合,漠然とイングランドだけを対象に考えていることが多い。イングランドもまたウェルズやスコットランドと同じく,歴史的・文化的に形成されてきた連合王国の一部であることを忘れてはならない。【イングランドの形成過程】アングロサクソン人が大挙して大ブリテンの島に侵入したのは,5世紀のことであった。彼らは先住のブリトン人と抗争しながらいくつかの王国をつくり,597年にはいわゆる「七王国」(ヘプターキー)負逐の時代に入った。その後ウェセックス王エグベルトが827年,イングランドの地をほぼ政治的に統一し,西方ウェルズにも侵攻したが,「オファの防塁」より西にはその支配は及ばなかった。ともあれ,そうした政治的統一と軌を一にして,人々のあいだにカトリック教もひろまり,9世紀初めごろまでに,イングランドは全面的にカトリック世界となった。「カトリックヘの改宗」は南方ラテン文化世界の一部に組み込まれたことを意味するが,その後ウェセックス王アルフレッドはヴァイキングを撃退して統一イングランド王国を名実ともに形成すると,北方ヴァイキングの文化要素をも受容することとなった。デーン=ロー地帯の形成や11世紀のデンマーク王クヌートの侵入,さらにはノルマンコンケスト以後いよいよ北欧的傾向に親しんだ。こうしてヴァイキング的要素とカトリック的要素の両方を受容するなかで,独自のインクランド文化は形成されていった。
【歴史とその文化的特質】ノルマン朝・プランタジネット朝はイングランドのほかヨーロッパ大陸にも広大な領土を有していたが,英仏百年戦争でそれらを失ってブリテンの島に後退してからは,ウェルズ・アイルランド・スコットランドの統合に関心を転じ,その後さらに新大陸など海外にも進出した。大英帝国の形成は,イングランドのヨーロッパ離れをいよいよ決定的にした。この間テューダー絶対王政のとき以後,イングランドはその政治的結束をいよいよ固め,のちの発展を用意した。カトリック教・ヴァイキングの気風・封建制度とヨーロッパ大陸から多くのものを学びとった上で,国内をまとめ,17,18世紀以後は世界に雄飛し19世紀にはユニオンジャックの旗をなびかせて一世を風靡した。今日では,病める国・小英国と酷評されることが多く,経済的にも政治的にも昔日の威勢を失ったが,ジョン=ブルの国をになってきたジェントルマンたちは,教養と個性豊かなイングランドの伝統を忘れてはいない。今後,香港など海外植民地をすべて失った上で,スコットランドやウェルズの分権化問題などにも直面するかもしれないが,中産市民の国イングランドの伝統は失われはしまい。彼らの言語である英語はなお,世界最大の会話人口を擁している。
〔参考文献〕青山吉信・今井宏編『概説イギリス史』1982,有斐閣
大野真弓編『イギリス史』(新版)1966,山川出版社
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