●殷墟 いんきょ
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河南省安陽市の西北約3kmにある段代後期の遺跡。殷の20代盤庚(こう)から最後の31代紂王まで,273年間の殷の都城大邑商の跡といわれる。前約1300年から前1027年まで,というのが通説である。1928年(民国17)以降最近まで発掘調査がつづけられ,多大の成果をあげてきた。小屯村北地には,版築による土壇数個と祭殉坑があり,侯家荘・武官村北一帯には,大墓群とそれに伴う多数の殉葬および祭祀坑群がある。ほかに青銅器・玉石器・土器・骨角器の工房や,車馬坑・貯蔵穴などが所々にあり,また最近1,000余の小墓も発見された。しかし,殷代中期の二里崗遺跡などにみられるような城壁が発見されないので,都城は現在の安陽市あたりではないかと考える人もいる。殷墟の出土物には,歴史的に価値あるものが非常に多い。たとえば,大量の甲骨に刻まれた文字は,殷代の実態と漢字の体系を明らかにさせ,多くの豪壮華麗な青銅容器や優れた灰陶・玉器とくに1976年(民国65)に婦好墓から出土した23代武丁期の芸術的な青銅器・玉器などは,殷代文化の高水準を再評価させ,また,多数の奴隷などの殉葬は,殷代奴隷制問題の研究を進展させている。〔参考文献〕宮崎市定『中国史上』1977,岩波書店
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