●インカ
南アメリカ 南アメリカ AD
南アメリカのアンデス地方,現在のエクアドルからチリ中部にいたる地域に15〜16世紀に成立した古代帝国であり,その担い手である人々,狭義には王族を意味している。彼らの語る言語によってケチュア族とも呼ばれる。現在知られている彼らについての知見はすべて考古学によるもの,および16〜17世紀のスペイン人あるいはインカの支配階級の娘とのあいだに生まれた人々の記録・文書によっている。これらの資料によればインカ自体の歴史は13世紀以降のものと考えられる。この時期にケチュア族がのちの都であるクスコに定着した。皇帝はスペイン人の征服時まで13代を数えるが,7代までは伝説の領域に属し,勢力的にもクスコ周辺にすぎなかったと考えられる。8代皇帝ウイラコチャ末期(1430年代)にチャンカ族と融合,以後前述の領土拡張へと進む。その生業の基盤は農業である。砂漠での大規模な灌漑あるいは山間地の急斜面の段々畑といった手段により,その生態環境に応じてトウモロコシ・ジャガイモ・サツマイモ・カボチャ・トマト・ラッカセイ・トウガラシ・コカ・マニオクなどの新大陸起源のものを栽培していた。また鳥糞や魚を肥料として用い,海岸部では漁業も行われ海藻も食されていた。これらの産物は交易によって互いの不足が補われ広く流通していた。家畜としてはモルモット・アヒル,とくに高地ではアルパカ・リャマが牧畜され,運搬手段のほかその毛は衣料の原料として木綿同様重要なものである。住居は一般に日干しレンガ・石を用いた,屋根は草葺きであったが,サクサイワマンに見られるように都や軍事施設には高度の技術が必要な巨石建造物もあった。橋梁や道路の整備といった土木技術もすすんでいた。さらに金・銀・銅に対する冶金術は有名であり青銅,あるいは白金などはヨーロッパ以前につくられていた。ただしこれらの品も農村には普及せず,都の人々のものであった。村落はアイユと呼ばれ,親族および姻族関係で結ばれた地縁集団からなり,各アイユはその集団の創始者の子孫であるクラカと呼ばれる長をもつ。この祖先は多くの場合ワカと呼ばれる守護神として各アイユが祀っていた。このアイユ=クラカ関係は分節体系となっておりそのヒエラルキーのなかで下位のクラカ(アイユ)は上位のそれに従属する形をとっている。ワカも同様の分節体系にくみ込まれている。アイユの成員はクラカに対しミタと呼ばれる労働奉仕の義務があり,反対にクラカは生産物の再分配,アイユの生活の保障の面で気前よさを見せる必要があった。一方成員間にはアイニという相互扶助制度があった。インカの国家構造もこの分節体系の延長にある。つまり帝国と各クラカの関係,クラカとアイユの分節体系はピラミッド状に重なり合っているのである。このことは祭祀面での皇帝と太陽神,クラカ(の祖先)とワカの関係にもあてはまる。耕地は3分され家族・国家・宗教のそれぞれの用途にあてられ,国家用のものは国庫に収められ支配階級・軍隊・公共事業従事者のため使われた。人口も調査され,賦役の制度を設けているのは前述のミタと同様である。さらに美しい娘はアクリャコナと呼ばれる「選ばれた処女」として公共生産,あるいは支配階級の側女に徴用された。このほかミティマエと呼ばれる住民の婚姻移住,ヤナと呼ばれる「終身隷属者」の存在によってインカはきわめて中央集権性の強い国家となっていた。しかし広い領土が均質な組織原理のもとに統轄されていたわけではなく,とくに周縁部では小国のような存在が多く,統一的な事柄は太陽神祭祀とケチュア語の普及であり,これらを浸透させる手段として道路網の発達には力を入れていた。宗教は国家的なものとして太陽神が祀られ,都クスコには「太陽の神殿」が設けられていた。そこでは神官の主宰で毎日儀式がとり行われ,リャマが犠牲に捧げられた。皇帝は太陽神の直系の子孫(太陽の御子)と考えられ,神話に語られている。農民の生活では大地の神パチャカマも重要であった。インカには文字は存在しなかったがキプと称する紐の結び目を用いた記録が残されており,天文学的な知識,およびそれをもとにした暦法の発達はたいへん有名である。
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