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●岩瀬忠震 いわせただなり

アジア 日本 AD1818 江戸時代

 1818〜61(文政1〜文久1)幕末期の幕臣,肥後守と称する。旗本設楽貞丈の子に生まれ,母は大学頭林述斎の女。旗本岩瀬忠正の養子となり1849年(嘉永2)両藩士に列す。老中阿部正弘の抜擢を受け,1853年(嘉永6)徒頭となり養父同列の1,000石支給,翌年部屋住みのままで目付となり,海防掛専任を命ぜられる。以後プチャーチンとの日露和親条約締結,オランダ・ロシアとの追加条約交渉にも参加,1857年(安政4)ハリスが江戸に出て日米修好通商条約の折衝が始まると,井上清直とともに全権委員として逐条審議にあたり,するどく反論してハリス作成の原案をしばしば変更させたほどであった。一方,いち早く横浜開港論を主張し,条約調印に際してもハリス協力の言質をとるなど適正な開国推進に尽力した。しかし,将軍継嗣問題一橋派に属したため井伊大老に忌まれて左遷され,安政の大獄で免職・隠居・差控となり憂憤のなかで没した。

〔参考文献〕福地源一郎『幕末政治家』1900,民友社