●イワシ漁業 イワシぎょぎょう
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【沿革】イワシ漁業は今日最も重要な漁業の一つであって,マイワシだけで年産329万t(1982年・昭和57年次)に達した。産業上重要になってきたのは,近世以降で,それ以前はほとんどかえりみられなかったようである。貝塚から発見される魚骨のなかには,マイワシ・カタクチイワシの骨がみいだされている。すでに石器時代から原始人に漁獲されていたことになる。初めてイワシ漁専門の網が使用されたのは,足利末期から戦国時代にかけてのことのようで,丹後では長享年間(1487〜89)よりイワシ建刺網と三つ目網という一種の地曳網が使用されていたようである。江戸時代に入って従来の摂津・紀伊・丹後から,相模・房総さらに東北方面へ発展した模様である。
江戸時代は,イワシ漁網として,地曳網・船曳網・八手網・四そう張網・棒受網・揚繰網・イワシ刺網・大敷網などが使用されていた。
【分類】イワシは硬骨魚綱・真口亜綱・硬骨上目・ニシン目に属する。
産業上重要なものは,ニシン科のマイワシで,ヒラゴ・ヒラ・ナナツボシ・中羽(約12cmのもの)・大羽(約18cm以上のもの)と呼ばれ,食用・飼料・加工に用いられる。カタクチイワシ科のカタクチイワシは,セグロ・シコ・ヒシコ・アオイワシ,稚魚はシラスなどと呼ばれ,カツオの活餌・煮干などとなる。ウルメイワシ科のウルメイワシ,コノシロ科のコノシロなどもこれらのイワシと混獲されて食用となる。
【漁獲】マイワシの漁獲は直接漁村の興廃に影響していたようで,イワシの豊漁の年代に漁港や漁村の構築が行われた。銚子近海では,1545年(天文14)に始められたイワシ漁業が1640〜1716年ごろまで豊漁を続け,1736〜68年に減少した。その後1789年ごろ増加し,1844年前後で減少し,江戸時代末期にも不漁であった。1864年ごろ(明治初期)にまた増加し,19世紀末には減少している。このときの調査では,イワシの主体がカタクチイワシであり漁獲も10万t程度であった。大正末期には50万tとなり,1930年(昭和5)に70万t,1932年に100万t,1936年に160万tとなった。しかし,翌年から急激に減少し,1945年(昭和20)には16万tに激減した。
第二次世界大戦後,社会情勢の回復に伴ってイワシ類の漁獲は1951年に46万tとなり,その後の20年間ほぼ,50〜70万tであったが,1950年ごろ〜65年までは,マイワシがしだいに減少し,カタクチイワシが増加してきた。
1972年(昭和47)には,マイワシが5万7000t,カタクチイワシが37万tとなったが,1976年(昭和51)より急増してきた。1976年(昭和51)には,マイワシ106万t,カタクチイワシ22万t,さらに増加を続け,1982年(昭和57年)には前述のとおり,マイワシが329万t,カタクチイワシ20万t,計349万tとなり,日本の漁業養殖業総生産量の3分の1を占めるようになった。
【漁場と系群】1972年(昭和47)以降マイワシの漁獲が急増して太平洋側・日本海側が好漁場となっているほか,全国的に沿岸およそ20カイリ以内が漁場となっている。とくに常磐から房総海域と山陰沖は年均l万〜10万tの好漁獲がある。
漁期はおよそ周年であるが盛漁期は地域的に異なる。南部では冬期,中部では春期,北海道以北では夏期が盛漁期となる。各地でみられるマイワシの種は,一つの単位で数量の変動があるのではなく,太平洋系群・足摺系群・九州系群・日本海系群の4つの生物学的系群に分けられる。マイワシの適水温は13,4度で10〜19度の範囲にみられる。
【漁具】現在,主として,大中型まき網で7割の漁獲があり,大阪湾・宮崎県のあぐり網でも漁獲が多い。このほかに定置網・船曳網・ばっち網などでも漁獲がある。
〔参考文献〕『マイワシの生態と資源』1976,水産資源保護協会
山口和雄『日本漁業史』1979,東大出版会
「昭和57年漁業養殖業生産統計年報」1984,農林水産省統計局
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