●岩倉具視 いわくらともみ
アジア 日本 AD1825 江戸時代
1825〜83(文政8〜明治16)幕末・維新・明治前期の政治家。幼名周丸,対岳と号した。中納言堀川康親の次男に生まれ,堂上公家羽村家岩倉具慶の養嗣子となる。1838年(天保9)従五位下,1854年(安政1)侍従となり,1858年(安政4)3月,日米修好通商条約の勅許を求めて老中堀田正睦が上京するや,廷臣88人列参に加わってこれに反対,攘夷のための武備強化を主張した。桜田門外の変後,皇妹和宮降嫁問題がおこるとこれに尽力したため,尊攘派の排撃を受けて辞官・剃髪を命ぜられ,一時身をかくした。1865年(慶応1)政界に復帰,諸藩志士と通じて倒幕運動に参画,薩長両藩への討幕密勅降下を実現し,王政復古を成功させた。1871年(明治4)右大臣となり,条約改正交渉の特命全権大使として遣欧米使節となり欧米を巡回,1873年帰国後,征韓論に反対して内政強化を主張する一方,皇室制度や立憲創設にも尽力。没後太政大臣を贈られ国葬となる。〔参考文献〕宮内省編『岩倉公実記』3冊,1927
日本史籍協会編『岩倉具視関係文書』8冊,1927
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