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●磐井の乱 いわいのらん

アジア 日本 AD527 

 継体天皇21年(527)朝鮮に百済救援のために出兵しようとする近江国毛野の6万の軍勢を,筑紫国造磐井が乱をおこして,これを阻止しようとし,各地で衝突した。この方は新羅の勧めに応じたものといわれる。しかし翌年大和王権は,モノノベノアラカビ※注1※と大伴金村・許勢大臣男人らによって征討をうけ,磐井はモノノベノアラカビ※注1※に斬られ,その子葛子も降伏したので抵抗はやみ,北九州一帯の土豪支持をうけていた磐井の乱も終熄している。

 福岡県の八女市の岩戸山古墳は伝説も多く,磐井の墓という説がある。

 葛子は父の罪より誅せられることを恐れ糟屋屯倉を献じ贖罪を乞うた。その間1年有余であった。翌年毛野臣は安羅にいたったものの,任那復興に成功しなかった。磐井の反乱の伝承は国内記録によるものらしく,事件の核心を伝えているが潤色が少なくない。『古事記』には筑紫国石井が天皇の命に従わず,礼なきこと多く,物部荒甲と大伴金村を派遣して殺させた,といっている。

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