●イラン学 イランがく
アジア イラン・イスラム共和国 AD
イランは古代より独自の文化的伝統をもち,それは楔形文字の古代ペルシア語・パフラヴィー語・中世ペルシア語の碑文・文献などにうかがうことができる。これらの言語のほとんどすべては,イスラーム期に入ってまったく姿を消すが,その内包するものは,アラビア語およびペルシア語で書かれたその後の著作のなかに痕跡をとどめており,事実その主題はイスラーム文化のなかに組み入れられていった。以上のようなイラン文化の大きな流れからすると,欧米のイラン研究は,まず大元の部分,つまり古代の碑文・文書に関する言語学的・文献学的研究から始まったといえる。大規模な考古学的調査にもとづく種々の発見の成果と連繋して行われた,この種の研究は,W.ガイガー・E.クーン共編の『イラン言語学概論』(1895〜1904)といった形で結実し,その後も着実に継続されている。これらの成果は,とりわけ古代のゾロアスター教・マニ教といった宗教の解明に力を貸すものであった。それと踵を接してイスラーム期の研究もすすめられたが,まずはアラビア文字を用いたペルシア語文献の蒐集・整理が積極的にすすめられ,同時に,西洋の古典学における厳密な文献学的方法を採用した原典のテクストの出版が行われるようになった。『ギブ記念叢書』の刊行は,その第一歩を飾るものであろう。初期におけるこの分野での研究は,大別して文学と歴史に重点が置かれた。ウマル=ハイヤーム・ハーフィズらの詩の価値をつとに認めていた欧米の研究者たちは,イラン文学の研究・紹介に積極的に取り組んでいる。この分野で一つの頂点をきわめたのは,碩学E.G.ブラウンであろう。彼の『ペルシャ文学史』(1928)は,今なお研究者必読の著作であるが,その後も優れた研究と,良質の文学書の翻訳が継続されている。同時に着実に行われてきたのは,歴史的研究であろう。さまざまな時代の,さまざまな歴史的様相を解明した多くの個別研究が公刊され,研究者の数もきわめて多い。しかし『ケンブリッジ・イラン史』が,第1巻刊行後10年たっても全8巻中3巻までしか公刊されていない事実は,いまだに未開拓な分野がいかに多いかを如実に示すものであろう。イラン学に関しては,ごく最近に脚光を浴びた多くの分野がある。その第1は,故H.コルバン・井筒俊彦教授らが掘りおこした特異な哲学的伝統である。これまで欧米研究者は,イスラーム世界の哲学的思索は,イブン=ルシュドで終わったという見解をとってきた。しかしこれは,研究者が自分のめがねにかなうものだけを切り取ってきた結果つくられた意見でしかなかった。イブン=シーナー的伝統が,イブン=アラビー・スフラワルディーらによって,いかに独自に発展・継承されたかという主題は,自らの文化的偏見を払拭して,冷静に対象を直視しうる優れた学者によってのみなされうる重要な発見であった。第2は,イラン革命後明らかにされた重要な諸分野である。多くの研究者たちは,これまでイスラームというものの主体的な価値がいかなるものであるかを問わずに研究を行ってきた。そしてイランでイスラーム革命が生起すると,たちどころに研究上の不備が明らかになったのである。これを正当に評価するためには,その政治理念・法体系の特殊性といった点に関する理解がすぐに必要になるが,この方面の研究は極端に遅れているといえるであろう。現在イランで進行中のイスラーム革命の未来は定かではない。しかし現に進行中の事柄を基本的にフォローしえない学とは,はたしていかなる学であろうか。イスラーム期のイランを論ずるにあたって,アラビア語に通じ,イスラームの構造・発想を十分に理解しているイラン学者がきわめて少ない点が,現在イラン学が直面している大きな課題であろう。イラン学はまだまだ未完成であり,有能な研究者の参加を待っている状態にあるといえよう。