●井上毅 いのうえこわし
アジア 日本 AD1844 江戸時代
1844〜95(弘化1〜明治28)明治時代の官僚政治家。熊本藩の陪臣の家に生まれ,藩校時修館に学び,のち江戸・長崎でフランス学を修めた。1870年(明治3)開成学校に勤め,翌年司法省に転じ司法卿江藤新平に従って渡欧,各国の司法制度の調査にあたった。やがて文筆の才とこの構想力の卓抜さが大久保利通に認められ,台湾出兵後の対清交渉に随行,以後,岩倉具視・伊藤博文らの信任を得,そのブレーン的存在となった。明治14年政変では政府の憲法制定の基本方針を筆定し,のち参事院議官・法刑局長官などを歴任して憲法調査に従い,伊藤博文らと憲法や皇室典範などの草案起草の中心となった。1890年(明治23)教育勅語の起草にあたっては,元田永孚の儒教主義的発想を修正して国家主義的内容を付加した。1893年(明治26)第2次伊藤内閣に文相として入閣,実業教育・高等教育の拡充整備計画を構想し,日清戦争後に具体化される教育体系の大綱を提示した。〔参考文献〕坂井雄吉『井上毅と明治国家』1983,東京大学出版会