50音順    検 索

●稲荷山古墳出土鉄剣 いなりやまこふんしゅつどてっけん

AD 

 埼玉県行田市埼玉(さいたま)に所在する稲荷山古墳(前方後円墳)の埋葬主体部(礫槨)から,ほかの多くの副葬品とともに出土した。発掘調査当時1968年(昭和43)はサビにおおわれていたが,1978年に金線の一部が発見され,レントゲン撮影によって表裏に115文字の銘文が金象嵌されていることがわかった。銘文は全長73.5cmの鉄剣の剣身部分(長さ58.0cm,幅3.15cm)の中央全体に表57文字,裏58文字が刻まれている。銘文はきわめて良好に遺存しており,全文を完全に読みとることができる。

【銘文の内容】

 訓読の一例

 辛亥の年七月中,記す。ヲワケの臣。上祖,名はオホヒコ。共の児,タカリのスクネ。其の児,名はテヨカリワケ。其の児,名はタカヒ(ハ)シワケ。其の児,名はハテヒ。其の児,名はカサヒ(ハ)ヨ。その児,名はヲワケの臣。世々,杖刀人の首と為り,奉事し来り今に至る。ワカタケ(キ)ル(ロ)の大王の寺,シキの宮に在る時,吾,天下を佐治し,此の百練の利刀を作らしめ,吾が奉事の根原を記す也。(岸俊男氏らによる)

【解説】

銘文の大意は,作刀,刻銘した年次をまず示し,次にオホヒコからヲワケまでの8代の系譜を示し,代々杖刀人の首長として(大王に)お仕えしてきたというヲワケの家柄を示している。そしてそのヲワケもワカタケル大王の役所がシキ宮にあるとき,政治(大王の)をお助けした。それを記念してよく鍛えた刀(剣)をつくって刻銘したというものである。

 釈読については広く受け入れられているものを示した。“辛亥年”については“獲加多支鹵大王”をワカタケル大王と読み『記・紀』(古事記・日本書紀)の大長谷若建命・大泊瀬幼武天皇すなわち雄略天皇にあて,その治世年や古墳の年代観から西暦471年に比定されている。この場合“斯鬼宮”が問題となるが雄略天皇の宮とされる泊瀬朝倉宮はヤマトのシキ地方であり,シキ宮とも称されたと考えられている。“乎獲居臣”については(臣)をカバネ(姓)の(オミ)とするか,臣某のような謙譲称を示す(シン)とするか,また(獲居)を人名から切り離して称号と考えるなどカバネ制の成立とも関係してとくに定まっていない。“オホヒコ”は『記・紀』に登場する大彦命にあて,その系譜に連なり,東国とも関係の深い武人的性格をもつ阿倍氏とヲワケ一族が同族関係があったとも考えられている。“杖刀人首”は刀をもって侍立する,大王の親衛隊の長を指し,こうした職掌からヲワケ一族は武蔵国造の系譜に連なるという考えもある。“左治天下”についてはその表現からヲワケの身分的位置をかなり高くする考えもある。以上のように銘文の解釈は研究者によって種々あり,必ずしも一定ではない。

 稲荷山古墳の鉄剣銘文発見によって,熊本県江田船山古墳出土の銀象嵌大刀銘が再検討されることになった。今まではその冒頭を“(治天下)蝮□□□歯大王”と読んで反正天皇にあてられていたが使用字やほかの部分の語句が稲荷山古墳出土鉄剣の銘文との類以性が認められ,“獲加多支鹵”と刻まれていた可能性が強くなっている。

 稲荷山古墳の鉄剣銘文は115文字のまとまった文章であり,年紀が示された同時代資料で,その出土状況もはっきりしている。内容も豊富で古代史の資料としてきわめて高い価値が与えられている。なおこの鉄剣についてはほかの出土品とともに国宝に指定され,現在は稲荷山古墳に隣接する埼玉県立さきたま資料館に実物が常設展示されている。

01

02