●稲村三伯 いなむらさんぱく
アジア 日本 AD1759 江戸時代
1759〜1811(宝暦9〜文化8)江戸後期の蘭学者・医者。名前,字白羽,号三伯。鳥取の町医松井如水の三男,藩医稲村三杏の養子。1777年(安永6)福岡の亀井南溟に漢方を学ぶ。帰郷後家を継ぐが,大槻玄沢の『蘭学階梯(かいてい)』を読んで感銘,1792年(寛政4)江戸へ出,玄沢の芝蘭堂(しらんどう)に入門。蘭日辞典の必要を痛感し,元通詞の石井恒右衛門を中心に,宇田川玄随・岡田甫説らの協力をえて,フランソワ=ハルマの蘭仏辞書をもとに編さん,努力を重ね,1796年(寛政8)約6万語からなる『波留麻和解(はるまわげ)』を完成,30部を刊行した。これはのちヅーフの『長崎ハルマ』に対し,『江戸ハルマ』と呼ばれた。こののち弟の不祥事に関連して藩に累が及ぶのを恐れて1803年(享和3)脱藩,下総国海上郡に移り,海上隨鴎(うながみずいおう)と改名した。1805年(文化2)京都へ上り,蘭学を教えた。門人は門人帳からは136人が知られ,藤林普山・小森玄良・中天游がおり,関西蘭学の発展に貢献した。〔参考文献〕斎藤信「稲村三伯」「人文社会研究」8