●伊奈忠次 いなただつぐ
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1550〜1610(天文19〜慶長15)江戸初期の幕府の代官頭。三河譜代の代表的な地方巧者。初め熊蔵と称し,叙任後,備前守となる。1550年三河国蟠豆郡小島(現愛知県西尾市)において伊奈忠家の長男として生まれる。一時期堺へ出奔したがのち復帰して小栗二右衛門吉忠の同心となる。1586年(天正14)近習となり,1589,1590年の徳川領国の新政策の実施には検地・知行・年貢制度の改革で頭角を現し,地方支配の中心的存在になった。徳川氏の関東入国後は,武蔵国鴻巣・小室領1万石(1万3,000石)の所領を与えられ,足立郡小室(現埼玉県北足立郡伊奈町)に陣屋を構え,利根川・荒川の河川改修・新田開発,寺社領支配や交通制度の諸政策を担当し,代官頭の筆頭格として活躍。1599年従5位下備前守に叙任,翌1600年関ケ原の戦いでは小荷駄奉行をつとめた。忠次の実施した地方仕法は熊蔵縄備前検地・備前堀,また特有の治水・土木を伊奈流と称し,関東の技術体系の基本になった。支配領域は関東から甲斐・伊豆・駿河・遠江・三河・尾張に及び,徳川権力の政治経済基盤の拡充に大きな役割を果たした。1610年6月13日没す。墓は埼玉県鴻巣市の勝願寺。紀功碑が同県川口市赤山の源長寺にある。〔参考文献〕村上直「関東郡代成立の歴史的前提」徳川林政史研究所研究紀要,昭和43年度
村上直「初期関東幕領における在地支配」日本歴史,184・185
和泉清司『伊奈忠次文書集成』1981,文献出版
本間清利『関東郡代』1983,埼玉新聞社