●伊東巳代治 いとうみよじ
アジア 日本 AD1857 江戸時代
1857〜1934(安政4〜昭和9)官僚政治家。長崎町年寄の子に生まれる。英語を学んで上京し,伊藤博文に識られ工部省に出仕した。以後伊藤直系の官僚となる。伊藤の憲法調査に随行して渡欧し,帰国後,井上毅・金子堅太郎とともに大日本帝国憲法制定に際して草案起草にあたった。枢密院書記官長をへて1890年(明治23)貴族院議員に勅選,1892年(明治25)第2次伊藤内閣の書記官長,1898年(明治31)第3次伊藤内閣の農商務大臣,1899年(明治32)枢密顧問官となり,自ら「憲法の番人」をもって任じた。1900年(明治33)伊藤の政友会結成に際してその準備過程には参加しながら入党せず,外にあって気脈を通じてしばしば政界の表面に登場した。この間「東京日日新聞」の社長として政府擁護の論陣をはった。1917年(大正6)臨時外交調査委員となって重要な対外政策の決定に関与し,つねに積極的な対外策を主張した。協調外交をすすめる憲政会・民政党内閣に対して批判的で,若槻内閣倒壊の原因をつくり,ロンドン条約では浜口内閣を苦しめた。〔参考文献〕晨亨会『伯爵伊東巳代治』全2巻,1938