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●伊東マンショ いとうマンショ

アジア 日本 AD1569 室町時代

 1569?〜1612(永禄12〜慶長17)天正遣欧使節の首席代表。日本名は不明で,キリスト教名マンショ(宛字で満所)で知られる。日向の伊東修理亮の息子であるが,母の町上は国主伊東義祐の娘であり,伊東家と豊後の大友家は姻戚関係にあった。そのためにイエズス会の日本巡察師として来日していたヴァリニャーノは大友家の名代としてヨーロッパに使節を派遣するにあたってマンショを選んだ。一行はインド・アフリカをへて,1584年(天正12)にリスボンに到着し,スペイン・ポルトガル両国王であったフェリペ2世に謁し,翌年春にはローマにおいて教皇グレゴリオ13世にも謁見を賜った。ついでイタリア北部を旅し,リスボンから乗船し1590年(天正18)長崎に帰着した。マンショは聚楽第で関白豊臣秀吉を訪れたのち,イエズス会の修道士となり,マカオで勉学を重ね,司祭として活躍したが長崎で病死した。