●一休宗純 いっきゅうそうじゅん
アジア 日本 AD1394 室町時代
1394〜1481(応永1〜文明13)室町時代に出た臨済宗大徳寺派の禅僧。後小松天皇の落胤といわれ,幼少で出家し諸師に就いたのち,妙心寺派の謙翁宗為に参じ,謙翁の寂後,大徳寺派の華叟宗曇に参じて,ついにその法を嗣いだ。しかし同門の法兄の養叟宗頤と肌があわず,『自戒集』を著して養叟らを痛罵し,大徳寺の非主流派として小庵を転々し,1456年(康正2)南山城の薪に酬恩庵を創建した。応仁の乱が勃発するとまた諸所を転々としたが,1474年(文明6)勅命により大徳寺の住持に就任した。しかし,すぐに酬恩庵に退き88歳で同庵において寂した。彼は自ら「狂雲」と号し,風狂皮肉の所行をあえてしたが,これは当時の浮薄な世相,わけても禅界の堕落に対する憤りの屈折した表現であった。彼の周辺には禅僧の弟子のほか,一休の肖像を描いた没倫紹等(墨斎)・連歌の柴屋軒宗長・俳諧連歌の山崎宗鑑・能楽の金春禅竹,茶の湯の村田珠光など文化の新展開に貢献した人物が多かった。彼の遺著としては,詩集『狂雲集』のほか『一体和尚假名法語』『仏鬼軍』などがある。ただし『一休頓智咄』は,一休に仮託された話が多く,史料的価値は乏しい。
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