●一人前 いちにんまえ
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知識・技術・年齢・体力などの面において人並の能力を備えた者をいう。現在では成年に達すると,制度上一律に独立の人格として認められるが,伝統的な村落社会では,それぞれさまざまな承認方法があった。一人前ということばが,日常生活において,「もう立派な一人前の男だ」「一人前の人間に育てる」などと使用されている。一人前のことを全国各地で何と呼んでいるだろうか。一人前と呼んでいる地方が多いが,一丁前・一丁メエ・ワリメエ・ヒトナミ・ヒトラメエなど地方によってさまざまに呼ばれていた。【一人前の類型】一人前の認定には四つの基準が認められる。[1]年齢による一人前,[2]労働力による一人前,[3]修業による一人前,[4]特殊条件による一人前。[1]には成年式成女式を済ませたことによる承認式や若者組・娘組への加入による一人前の承認が含まれる。年齢は13〜21歳と地域・年代によって異なっているが,13歳・15歳が中心である。21歳は明治以後の徴兵検査による。また,単にその年齢になれば直ちに承認されることは少なく,一定の田を耕作させたり,登山・訓戒・参詣などある種の試練を課せられることが多かった。[2]には作業ごとに一人前の作業量を定めたものが多い。それを一手役・一人役・ワッパカ仕事などとも呼んだ。田おこしは1日に3〜4俵取り,田の草取りはl日300坪,畑さぐりは1日600坪,物を背負う力は,4斗俵16貫が普通であった。女は男の半人前から七,八分の農仕事が一人前の量で,田植は7畝以上,除草は1反歩,背中にかつぐ力は10貫目,糸取りはl日に1把,手織機で1日に2反織れば一人前とされた,など労働の細分にわたってきめられたが,1日の仕事量は地域によって多少の差がみられた。たとえば,運搬についてみると,米1俵=16貫をかつげることを中心として前後に幅がある。田植・田打・稲こきや,畑仕事にも差がある。これは地形・地質・副業の有無そのほかによって異なっている。また,力石のもち上げなどの評価も加えられた。[3]の代表的な例は職人である。年限を定めて弟子入りし,年季が終わると一人前の職人となった。が,1年間の礼奉公をするのが通例であった。商人の丁稚奉公,芸人の徒弟奉公などもあった。また,出稼の例として,越後のように「あきないに行かない娘は一人前でない」といわれる村もあった。村の裕福な家の娘も一度は他人の飯を食う,といって,毒消し売りに旅立ったのである。女中に行かなければ一人前でない,といわれる村もあった。他人の飯を食うことのなかには技術の獲得以上に修養の要素があった。[4]の例としては,伊勢参りに行くことや,群馬県勢多郡横野村(現赤城村)では客の接待・礼儀などおとなのようにできれば一人前とみなされた。そのほか,経済的能力があれば一人前,結婚すれば一人前という村もあった。
【村落生活における一人前】一人前と認定されると,結婚資格を生じ,共同労働・祭祀などへの参加が認められるので,一人前と評価されることは一生のうちで,最も重要な段階であった。一人前になるために力石・俵をかつぐ練習をした。一定の基準に達しない人は,半端者・ハチモノ・半人足などと呼ばれ笑われた。一人前の基準は労働力が重要な要素を占めていた。共同体的な村落社会においては,村仕事はいうまでもなく,ユイ・モヤイにおいても,人並みの仕事ができなくては義理を欠くことになる。そのために,共同生活,ひいては自己の家を維持するために一人前の基準は重視された。一人前の上限は,還暦の祝をすませるころ賦はずれになり,村の公の世界から隠退した。これは,かつての庶民の停年であった。
【近代化と一人前】近代化に伴って一人前の基準が変化してきた。長野県北安曇郡小谷村黒川の事例をあげてみる。(1)現金収入は1日少なくても1,200円以上あること(2)米は坪1升以上取れる腕があること(3)農機具全搬にわたって使用することができること(4)農薬を使用することができること(5)肥料全搬にわたって使用することができること(6)バイクに乗れること(7)部落内の村役が勤まること(8)できれば自動車を運転できること。一人前の観念が年齢・労働力的なものから,知的技術や社会的能力などに移行していることが窺われる。
〔参考文献〕早川孝太郎『農事慣習における個人労力の社会性−ユヒの問題に関連して−』民族学研究3−2,1937
瀬川清子『一人まヘ』民間伝承10−4,1944
平山敏次郎『教育と修業』日本民俗学大系4,1959,平凡社