●一二・九運動 いちにきゅううんどう
アジア 中華人民共和国 AD1935 中華民国
1935年12月9日北京で始まり,中国全土に拡大した抗日学生運動。満州国成立後,日本は熱河を占領,長城線を越えて華北に侵入し,1935年6月の梅津・何応欽協定によって事態を収拾,ついで同年11月通州に冀東防共自治委員会,12月には北平に行政院冀察政務委員会が成立し,華北を国民政府から分離することに成功した。また,翌年にかけて各地に開発会社を設置し,砂糖・人絹・アヘンなどの密貿易によって中国経済を混乱に陥れた。これに対して,国民政府は対日妥協と共産軍討伐に終始して,民衆の抗日運動を弾圧したため,1935年8月1日,長征途中の中国共産党が“八・一宣言”を発表し,内戦の停止と救国抗日を呼びかけた。こうして抗日の気運が中国全土にみなぎり,一二・九運動でその最高潮に達した。1835年12月9日,北平の学生約8,000名が新華門付近に結集して“華北自治反対”“日本帝国主義打倒”“内戦停止・一致抗日”をスローガンとして街頭をデモ行進した。この運動は警官隊によって弾圧され,数十名の学生が逮捕され,約900名の負傷者を出したが,翌10日から北平の学生たちは政府の弾圧に抗議してストライキに入り,数日後には抗州・漢口・南京・上海・広州などでも抗議のデモがおこった。ついで16日には,10万人近い学生と市民が市民大会を開き,冀察政府委員会の廃止や東北失地の回復などを決議してデモ行進した。このときも警官隊による弾圧を受けたが運動はすぐさま南京・天津・武漢・上海などにも広がり,戒厳令がしかれた。こうした運動がきっかけとなって翌年5月に上海で全国学生救国連合会が結成され,抗日運動の統合がはかられ,また学生の下郷運動により各地に抗日宣伝が浸透し,抗日民族統一戦線の形成を促した。