●イタリア政策 イタリアせいさく
ヨーロッパ イタリア共和国 AD
962年オットー1世がローマで戴冠してゲルマンの王からローマ皇帝になって以来,1254年まで神聖ローマ帝国の諸皇帝がイタリア支配のためにとった政策。1002〜1152年の諸皇帝がイタリアにかかわった年数は22年間で,以後シュタウフェン王朝がかかわった年数は49年間で102年の統治期間のおよそ半分近くにもわたった。しかし結局は都市勢力に破れてイタリアから撤退せざるをえなかった。このように失敗するイタリア政策にのめり込んでいった諸皇帝の政策をどのように評価すべきか。[1]この政策の誤ちがドイツ民族国家の形成を困難にした,[2]ドイツとヨーロッパの利害を守るためには必要であった。民族国家の政策か普遍国家の政策かといったいわゆる“皇帝政策論争”として19世紀後半以来ドイツ史学界で活発に議諭された。“東方政策”と比較されるこのときの重要なテーマが“イタリア政策”であった。