●板碑 いだび
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板碑とは,中世の日本において多くの造立をみた各種の石造供養塔婆の一形式である。その形態は,最も典型的なものにあっては,板状に成型した石材の頭部を三角形とし,その下に二条の切り込みを入れ,その二条線下の塔身部に本尊や銘文等を刻み込むといった比較的単純な造形である。このような形態をもつ板碑は,他の五輪塔・宝篋印塔などの石造供養塔婆と比べると次のような特色がある。すなわち,立体である塔婆の一方の面(正面)のみを成型し,その面に塔婆としての要素が集中している点である。これは,他の塔婆形式が四方いずれからみても同じ形態をもつ立体として構成されているのに対して,いわば平面として構成されているということであり,板碑のもつ最大の特色である。また,他の塔婆形式の石造塔婆が,おおむね複数の石材を組み合わせて造立されるのに対し,一個の石材で構成されている点も,一石五輪塔などの事例があるにしても,板碑形式の特色の一つということができる。大きさは,5mを超す巨大なものから,20cmほどの小型のものまであるが,おおむね高さ1m前後が一般的である。なお,板碑という名称は,板碑が供養塔婆であって碑ではないという性格から適切とはいいがたい。そのため,一部では板状の石でつくられた塔婆という意味から「板石塔婆」という名称が用いられているが,前記のような特色をもつ石造供養塔婆全体をさす用語として,江戸時代以来の慣用語であるという理由以上に,学術用語として定着している。【分布と形態】板碑の最古例は,埼玉県大里郡江南村所在の嘉禄3年(1227)銘阿弥陀三尊画像板碑である。この13世紀前半中葉から,16世紀末ごろ(地域によっては17世紀中ごろ)までの約4世紀弱の期間が,残存する資料からみられる板碑の造立期間であり,その問,時代により,地域によりさまざまな展開をみせている。まず,分布は北海道南部から鹿児島県下の離島(鹿児鳥郡三島村硫黄島・竹島)まで,粗密はあるが全国に及んでいる。しかしながら,その形態は一様ではなく,前記したような典型的な形態を示すものは,関東の荒川流域を中心とした地域(埼玉県・東京都全域,茨城・栃木・群馬・千葉・神奈川・山梨各県の一部)と,四国徳島県下の吉野川流域が主体であり,他の地方では,正面からは完全な板碑の形態を示しながら非常に部厚いもの(東北・北陸・関西・九州など),あるいは全体を若干整形した程度のもの(東北・北陸・関東の一部など),また自然石そのままのもの(東北北部・北陸・九州の一部など)などさまざまである。これらの形態上の相違は,地域の伝統の違いなどによると考えられるが,石材の種類の相違が最大の原因であろう。前の,関東および徳島県下の板碑は,緑泥片岩と呼ばれる薄く剥離する性質をもつがゆえに薄い板状につくることが可能であるが,緑泥片岩の産しない地域にあっては,その地域の石材の性質に制約されるがゆえの造形と考えられるのである。なお,このような形態上の差異を示すための細分類も行われており,地域的な特色を第1に考えた場合は,地方名を冠して武蔵型板碑などと呼び,形態を主とした場合は,典型板碑・類型板碑・自然石板碑などと呼ばれる。
【板碑の研究】以上のような板碑は,近年,日本中世史研究の動向のなかで注目される存在となっている。それは,おもに関東地方のいわゆる武蔵型板碑を素材とした研究によるもので,現存する3万基におよぶ調査結果をもとに,そこに示された本尊の種類,紀年銘などの分析により,板碑自体の年代的推移を中心とした存在形態の把握に始まり,分布地域の中世仏教史研究,とくに信仰面の研究に大きな素材を提供している。また,15世紀中ごろから現れる,複数の俗名を刻む結衆板碑の存在は,荘園史研究資料の乏しい関東の中世史研究にとって,村落を考える史料の一つとして高く評価されている。
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