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●伊勢 いせ

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 旧国名であって,現在の三重県の一部。伊勢国という国名の由来は,『伊勢国風土記』によれば以下のようである。〈それ伊勢の国は,天の御中主の尊の十二世の孫,天の日別の命の平治けし所なり。……天の日別の命,勅を奉りて東に入ること数百里なりき。その邑に神あり,名を伊勢津彦といへり。……天の日別の命,兵を発してその神を戮さむとしき。……伊勢津彦の神は近く信濃の国に住ましむ。天の日別の命,この国を懐け柔して,天皇に復命しき。天皇,大く歓びて詔り給いしく「国は国つ神の名を取りて伊勢と号くべし」と詔り給ひて……〉伊勢の国名は土着の神である伊勢津彦に由来していることになっている。そして,桑名・員弁・朝明・三重・河曲・鈴鹿・奄芸・安濃・壱志・飯高・飯野・多会・度会の13郡よりなっている。

【産物】伊勢国の産物で特筆されるものに水銀がある。白粉の原料・金属の鍍金用・絵具の顔料・薬品などに利用され,古代から重要産物として重宝された。丹生村(現在の松阪市射和町)が唯一ともいえる産地であった。このため,京都との結びつきも強く,中央と伊勢との交流も密接で,このこともあって都の文化が伊勢へ広がる契機ともなっている。鎌倉時代の初期には,伊勢神宮を本所とする水銀座が結成され,室町時代中期以降は,京都の公家薄家を本所とした。鋳物についても著名であった。〈伊勢の桑名に過ぎたるものは,銅の鳥居に二朱女郎〉と唄われたように,桑名・津は鋳物の産地としても有名である。とくに茶釜・鍋釜は伊勢釜と呼ばれ,全国で販売された。窯業としては,桑名の森有節によって行われた赤絵をほどこした有節万古,射和の竹川竹斎が幕末に始めた射和万古がある。伊勢型紙も有名である。白子型紙とも称せられた染型紙である。技術は独特のものであって,弟子を他国から取ることはもちろんのこと,製品を勝手に売ることも禁じられていた。これらのほかに,伊勢水といわれた四日市付近の菜種油,伊勢御師の土産として知られた射和の軽粉(伊勢白粉),朝熊山にあった野間家の売薬万金丹などがある。

【歴史】主要都市の略史を記す。[1]津市……県庁所在地。古名を安濃津といい,薩摩の坊津・筑前の博多津とともに日本三津の一つとされている。都市的起源は,永禄年間(1558〜68)細野壱岐守藤敦が安濃津城を築き,家臣団を中心とする町屋を営んだのが初めとされる。近世には藤堂氏32万石の本拠であり,伊勢神宮参詣道の宿駅として繁栄していた。その繁栄ぶりは,「伊勢は津でもつ津は伊勢でもつ」と唄われたことに示される。[2]松阪市……古代にあっては飯高氏の領地であり,中世には伊勢国司北畠氏の支配下におかれ,戦国末期に織田信雄が松ケ島城を築いて入った。そして1584年(天正12),近江日野から蒲生氏郷が城主として移った。ここに城下町松阪が生まれた。しかし江戸時代の元禄ごろより商業都市としての性格を濃くした。松阪木綿を扱う商人の活躍は著しく,三井をはじめとする豪商が生まれた。[3]伊勢市……伊勢神宮を中心に発展してきた都市。武家時代になっても神域は守護不入の地として保護され,私幣私鋳が許されるなどして著しく繁栄した。以後近世を通じて御伊勢参りの参詣者で賑わった。宇治・山田は神領とされ,山田奉行が置かれた。宇治・山田はそれぞれ宇治会合,山田三方によって自治が行われ,経済活動の中心は御師によった。さきに記した私幣私鋳の許可というのは,山田三方の手で発行された羽書といわれる私幣である。[4]桑名市……歴史は古く,伝馬町貝塚などがある。平安末期には伊勢平氏の拠点となる。室町時代に入ると,伊勢・尾張を結ぶ交通の要衝として重要になり,商人の来往も盛んで問丸の発達をみた。江戸時代には譜代大名が配置され,元来は城下町であったが,東海道の宿場町を兼ねて大いに発展した。とくに,ここで海上七里の渡しとなり,旅客の往来は多かった。

〔参考文献〕西垣晴次・松島博『三重県の歴史』1981,

山川出版社」『郷土資料事典−−三重県・観光と旅』1984,人文社

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