●イスラーム哲学 イスラームてつがく
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イスラームの教えは,登場当初の萌芽的状態ののちに,人々をしてしだいにその合理的理解を要求させるようになった。イスラームの思弁神学は,イスラーム文化内部の知的たかまりの結果醸成され,独自の発展をたどるが,人々の知的探究心はそれにとどまらず,外部世界の知を吸収,そしゃくして自らの糧にすることを拒まなかった。そしてギリシア哲学の諸作品の翻訳・紹介を通じてその考えに馴れ親しんだ人々が,イスラーム世界に独自の思想的開花・結実をもたらすことになる。それはのちに神学・スーフィズムのなかにも深く受容され,厳密に哲学のみを切り離すことが不可能になるが,とにかくこの思想的流れはギリシア哲学を基本的な師と仰ぐことに始まっている。【準備期,翻訳の時代】ギリシア思想の流入にあたり,初期に活躍したのはシリア人であった。シリアがイスラーム化された時点で,ギリシア語の著作の多くがまずシリア語訳され,ついでアラビア語に翻訳された。初期の翻訳者たちは,主として医者であったために,この時代には医学・自然科学関係の著作がもっぱらアラビア語訳されているが,その後しだいに分野がひろめられていく。
ギリシア哲学の翻訳を組織的に行い,その面での黄金期をもたらしたのは,アッバース朝のカリフ,マームーン(在位813〜833)である。彼は当時の首都バグダードに「智の館」という大きな学院を建て,多くの有能な学者たちにギリシアの学問の組織的な翻訳に当たらせた。この学院で指導的な立場にあったのは,ヤフヤー=イブン=ビトリークであるが,その後カリフ,ムタワッキルの時代に活躍した,フナイン=イブン=イスハークを中心とする一団は,アリストテレスやプラトンの翻訳を,かなりな精度をもって行った。そして10世紀になると,アブー=ビシュル=マッター,ヤフヤー=イブン=アディーといった学者たちが,アリストテレスの新訳を行っている。
アリストテレスの著作は,上述のような学者たちの200年にわたる努力によって,ほとんどアラビア語化された。しかし注意すべき点は,イスラーム世界に紹介されたアリストテレスの思想は,後代のヘレニスティック時代の思想家たちに仲介された,新プラトン派的傾向の強いものであったという事実である。アリストテレスのものと信じられていた多くの著作が,実は新プラトン派のものであったという一種の誤解は,しかしイスラーム世界の哲学者たちに独自の思索の領域を与えた。アリストテレスにみられる論理性と,イスラームの超論理性は,新プラトン主義的傾向を媒介にして独自の開花を遂げることになるのである。
【東方のイスラーム哲学】イスラーム世界は,紅海を境として東を東方,西を西方として二分される。そして哲学史においては,両地域における哲学的な発展を個別に追うことが常套となっている。
ギリシア哲学のイスラーム世界への輸入地シリア,アッバース朝の首都バグダードを擁する東方世界が,哲学の初期の興隆の中心地であった点は,容易に推測されうるであろう。神学的には理知的なムータジラ派が盛んであり,ギリシアの諸学が積極的に摂取されるなかで,最初に多くの哲学書を著したのは,生粋のアラブ哲学者キンディー(796〜873)である。有名な『図書目録』によれば,彼の著作は265冊にのぼるとされている。天文学から医学・光学・幾何学・政治学・雄弁術などにわたる彼の学識はまさに百科全書的であるが,イスラームの哲学者の多くが,精神的思索家であると同時に優れた科学者であった点は特筆に価するであろう。先駆者としてのキンディーの思想は,いまだにきわ立った独創性をもつにいたってはいない。しかしその知性尊重の態度は,独特なかたちでイスラーム世界のアリストテレス主義を定着させる上で,大きな役割を果たしている。キンディーは,あらゆる個物の生まれる原因は自然にあり,自然の原因は魂で,魂の原因は知性,知性の原因はあらゆるものの原因,つまり第1原因である神であるとした。彼はそれまでの通念に逆らって無からの創造を主張し,世界の創造を溢出としてよりも,神の行為とみなしている。そして神の意志的行為によって第1叡知体が創造されたのちに,各階層別の溢出の概念を受け入れている。知性4分法など特筆すべき点も多々あるが,人間が認める真理は普遍的であり,哲学者はそれを追求すれば足りるという彼の信条は,のちの哲学者たちに末長く受け継がれることになった。
イスラーム世界で,アリストテレスに次ぐ哲学上の「第2の師」として知られるファーラービー(872〜950)は,アリストテレスの優れた注釈者として知られる。より精密なアリストテレス理解を基盤にして,彼はさまざまな議論を展開しているが,被造物における本質と存在の区分の議論は重要であろう。存在は本質を構成する性格をもつものではなく,それは一つの賓概念であり,本質の偶性にすぎないという提言は,イブン=シーナーを初めとするのちの哲学者たちの,論議の的となった。さらに彼は,キンディーの知性4分法を発展させ,独特な能動的知性論をうち立てている。人間の知性は,「可能態における知性」である。それはときに認識・思惟するが,ときに活動をやめている。このような知性が現実態になり,常時活動するためには能動知性が必要であった。〈能動知性は人間の可能知性にとって,目に対する太陽のごときものである。目は暗闇のなかにあっても,可能的にヴィジョンをもっている〉このような叡知体が,人間世界に最も近い上部にあって,たえず人間を啓発しているとするのである。彼のさまざまな主張は,『理想国家論』のなかに要約されているが,それによれば第1原因から遠くひき離されている人間は,与うかぎり可能知性を現実知と化し,それに磨きをかけて神に近づくよう心がけなければならない。
キンディーやファーラービーの純粋に哲学的な思想は,いささか通俗的ではあったが,百科全書的な純粋同胞団の『論集』に消化・吸収され,それがイスラーム世界にひろがる過程のなかで,人々のあいだに広く受容されていった。そしてこの哲学的な流れは,イブン=シーナーによって一つの頂点をもつことになる。
【西方のイスラーム哲学】東方における哲学の興隆は,徐々に西方にも伝播し,スペインを中心に開花することになる。
西方では10世紀に,神秘主義的傾向の強いイブン=マサッラのような思想家が存在し,11世紀には博識・知性の点で最も傑出した学者としてほまれの高い,イブン=ハズムのような人々が知的活動を行っていた。しかし,とくにイブン=ルシュドやアルベルトゥス=マグヌスに与えた哲学的影響の強さからみて,ここで注目すべきはイブン=バーッジャ(ラテン名アヴェンパチェ,1138没)であろう。彼は論理学・形而上学などの基本的学説に関しては,ファーラービーの説に従っているが,その上で独自の知性論を展開している。彼の主著は『孤独者の療法』であるが,そこでは世界は形相の連鎖としてとらえられている。物質は形なしには存在しえないが,その形は感覚的である。その上にくる霊魂は感性的であると同時に知性的な形をとる。さらに上位の人間知性は感性的な要素を徐々に払拭していき,能動知性の段階,さらにその上の天に達する段階にいたると,知性的純度は完全になる。感覚的な個物にはじまって,最上位の,より純粋な形相を把握するに従って人間は完成され,至福の境地に達することになるのである。その際の唯一の道案内は,知性にほかならないのである。
理性的な思惟の最高段階で経験される知的直観を,人間の至福と説く思想は,イブン=トゥファイル(1185没)の哲学的小説『ヤクザーンの子ハイイ』の主題でもあった。このきわ立った理性尊重の態度は,西方哲学の大成者といわれるイブン=ルシュドにまで受け継がれていく。ただし徹底した理性尊重主義者たちの教説は,彼らが絶えず宗教との共存の道を模索していたにもかかわらず,当時の宗教界からの強い反発を招かずにはおかなかった。したがって彼らの思想は,以後イスラーム世界では強力な後継者をもたず,むしろキリスト教的西欧世界に移植されて,ラテンのアヴェロエス主義の興隆につながっていく。
これまで欧米の研究者は,イスラーム世界の哲学的思索は,イブン=ルシュドによって終わりを告げたと評価してきた。しかし最近の研究は,西方のイスラーム哲学の成果を十分にとり入れながら,それ以降も西方出身で東方で没したイブン=アラビーなどの哲学に想を得ながら,主としてイランを中心に,独創的な哲学的思索がつづけられてきた事実を明らかにしている。哲学とスーフィズムを総合的に発展させた神智学の研究は,ようやく端緒についたばかりなのである。
〔参考文献〕井筒俊彦『イスラーム思想史』1975,岩波書店
H.コルバン『イスラーム哲学史』1974,岩波書店