●イスラーム世界 イスラームせかい
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登場以来1400年をへたイスラームは,地域的にはモロッコからインドネシアにおよぶ広い領域に多くの信者をもっている。アメリカ合衆国のブラック=ムスリムなどを考慮に入れれば,上述のような説明も当を得なくなるほど,信者たちは世界に散在している。信者の総数も,現在8億数千万ないし10億弱と推定されている。しかし彼らのあいだでも,イスラームを口にしながら,実際には少しもイスラーム的でない者もあり,ムスリムが多数を占める国,少数者である国など,置かれている環境にも大きな相違がある。したがってイスラーム世界という表現が,厳密にどの地域に妥当し,その様態がいかなるものであるかについて一括して定義することは,至難の業である。さしあたりここでは,イスラーム意識の高い信者たちの共同体が大小にかかわらず存在し,そこに独特な世界観に基礎を置く固有な文化的伝統が根づいている地域と規定しておくことにしよう。具体的には中近東からインドネシアにかけての一帯ということになる。【イスラーム世界の現状】これまでイスラームは砂漠の民の宗教,アラブの教えという考えが一般的であった。しかし推計によれば中東のムスリムは,世界の信徒総数の約4分の1であり,インド亜大陸・東南アジアのムスリムが全体の半数を占めるという事実一つをとってみても,これが誤りであることは明らかであろう。また東南アジアは砂漠地帯ではない。
これは同時に,イスラーム世界がけっして一様ではなく,そこにはおびただしい多様性が存在していることを証している。この多様性は,信者たちの地理的・歴史的環境の多様性,イスラーム受容の形態とその政治的インパクトの多様性などさまざまな観点から検討することが可能であろう。前者についてはほかの諸項目を参照していただくこととして,ここでは後者の問題について検討することとする。
イスラームは,信者たちに対していわゆる宗教儀礼のみではなく,固有の世界観・独特な社会的行為の規範を提供している。要するに人間の精神的・社会的ビヘービアーを綜合的に律する規範を提供しているわけであるが,それを受容し,実践する際の程度・質は,個人的・国家的レベルでさまざまに異なっている。形式的にはムスリムであるが,ほとんどイスラーム的世界観の受容・実践には関心を示さない者,宗教儀礼は一応履行するが,社会的実践とは無縁な者,両者を意識的に行う者など,個人的レベルでもそのイスラーム性は大きな差異がある。国家的レベルにおいてもイスラームを国教として,その趣旨を徹底すべく努力する国,イスラームを体制維持の道具として利用する支配者を頂点とする国,それを法的にはほとんど無視する国などさまざまである。
イスラームそのものに関してすら個人的・社会的レベルで実にさまざまな受容の形態があり,それに地理的・歴史的環境の相違が付加されると,広大なイスラーム世界を一括しうるような普遍的要素は,あたかも存在しないかのような外観を呈する。外部の研究者たちが,これまで伝統的に,イスラームは滅びゆく宗教であり,時代に逆行する価値体系であると断言してきたのも,ゆえないことではないのである。
ここで留意しなければならないのは,イスラーム世界の信者たちが,敬虔であればあるほど,自らの周囲に真にイスラーム的なものが存在しないと自覚している点であろう。かつて私的にも,社会的にも十分に信者たちに人間的尊厳を享受させ,実際にきわめて高度な文化的水準を誇る大帝国を運営・維持することのできた価値体系が,今やまったく活力を失い,信者たちの生活をも外部勢力の圧力の脅威にさらされている理由は何か。このような現実を前にして信者たちは,周囲に満ち溢れるイスラーム性の「欠如」に深く胸を痛めるのである。この「欠如」を外部の観察者はイスラームの否定に結びつけるが,それをイスラーム性回復の契機とするところにこの世界の民衆の根本的特性がある。イスラーム性が最も充溢していた時代に回帰しよう,その時代の状況を範として,その精神を現代に蘇えらせよう。現在この世界で顕著にうかがわれるイスラームヘの回帰の傾向は,いわば末世意識に触発されたものであり,したがって情勢が悪ければ悪いほど爆発的に力を示すような性質のものなのである。
【固有な文化的構造とイスラームの機能】イスラーム性の欠如が自他ともに明らかな状況のなかで,なぜ今イスラームなのかを明らかにするためには,イスラーム世界が内包する固有な文化の構造と,そこにおけるイスラームの機能について正確な認識をもつ必要がある。
イスラームとは,とりわけて宗教であるが,それはわれわれが通常宗教として認めているものとはきわめて性質を異にしている。そこでは信者の信仰は,尊崇の対象を精神的に敬うばかりでは完結しない。個々人は,さまざまなレベルで社会的な責任を果たさぬかぎり,信仰をまっとうすることができないのである。世俗の世界における信者たちの言動を,精神の問題と同様に重視するこの教えは,したがって固有の法,つまりイスラーム法をもっている。このことは,キリスト教法・仏教法などが存在しない事実を考え合わせれば,すこぶる特徴的であるといえよう。それはまた政治・経済に関する規範をもち,同時に独自の倫理体系をもっているのである。さらにイスラームは,これらの根本に,「タウヒード」と呼ばれる世界観をひかえもっている。これは万象を一に還元・綜合する純粋に一元論的な観法であり,精神と物質を二つの相対立するものとしてとらえない点で,たとえばキリスト教的西欧とは明らかに異なる観法であり,イスラーム世界以東の世界観とも顕著な相違をもっている。
独自の世界観にもとづく宗教・法,政治的・経済的規範,道徳的体系であるようなイスラームは,イスラーム世界に長らく根づくことによって,文化そのもの,あるいは文化的伝統の核となっていた。それはここ数世紀吹きあれた西欧化の嵐のなかで,ほとんど瀕死の状態に置かれるにいたった。人々の宗教心は薄れ,イスラーム法の多くは西欧の法にとって代わられ,政治・経済の領域でも世俗化が進み,道徳も地に落ちた。タウヒードの一元論も,欧米の二元論の風下に立たされ,息もたえだえという有様であった。しかし同時に民衆のあいだではなおも強いイスラームヘの,独自の文化的意識への郷愁が残存していた。
長らく西欧植民地主義の支配下にあったイスラーム世界は,ここ30年ほどのあいだに,めざましい自己回復の成果をあげている。1960年代までにはそのほとんどが政治的独立を獲得しているが,そのさい民衆はめざましい公徳心を発揮させている。その基礎となったのはイスラーム的倫理観であった。その後1970年代には,すでに獲得した政治的独立を足場に石油禁輸政策を成功させ,大きな経済的自主性を手にしている。しかし政治的・経済的自主性の回復のみでは,けっして十分ではなかった。最も基本的に欠けているものは何か。それは文化的自主性ではないのか。この点を明確に意識して成就されたのが,イラン=イスラーム革命である。この革命の成否はともかく,民衆はいたるところで,単なる宗教ではなく,自らの文化的基盤としてのイスラームに深く想いをはせ始めているのである。そして人々の意識の度合いが高まり,獲得・実現していくものが多くなるにつれて,イスラーム性は濃厚に回復されつつある。数世紀にわたって西欧の直接的・間接的圧力下にあり,沈滞しきったこの世界が復興の足がかりを築くためには,いまだに時間を要するであろう。しかしこの世界に共通する文化的基盤であるイスラームが,徐々に,法・政治・経済・道徳・世界観・思想の面で復元されていく傾向は止まることがないであろう。
イスラームの復権を予測させるに足る強力な例証は,現代世界の知的状況の特殊性にあるであろう。現在知的探究の最前線では,これまでの精神と物質を二元的にとらえる傾向が徹底的に批判され,物理学・生物学・哲学などさまざまな分野で一元論化が進行している。ポスト=モダーンの知的状況は,むしろイスラーム的一元論のそれに近寄りつつあるのである。一元論の徒が,なにゆえに欧米においてすら批判の対象となりつつある現代西欧文明に盲従する必要があるのか。「西欧の猿まねはやめよう」というイスラーム世界の脱現代欧米化の動きは,ポスト=モダーンの知のありようとも相通ずるものであり,この地の知識人たちがこれを明確に意識している点は,けっして看過されてはなるまい。
〔参考文献〕黒田壽郎編『イスラーム辞典』1983,東京堂
黒田壽郎『イスラームの心』1980,中央公論社