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●イスラーム神秘主義 イスラームしんぴしゅぎ

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 イスラーム神秘主義は西暦8世紀末から9世紀にかけておこった。英語ではスーフィズムという。アラビア語はタサッウフであるが,一般にはスーフィズムという語が用いられている。

スーフィースーフィーはアラビア語で神秘家をさす。スーフィーの語源については,心や行為の清浄な人(サファー),神の前で一流の地位にある人サッフ,預言者ムハンマド(マホメット)の伴侶アフル=アル=スッファ,ギリシア語の知恵(ソフィア)や神智学者ソフォスなど諸説あるが,現在一般には,アラビア語のスーフ(羊毛)から派生した語とされ,羊毛の粗衣を身にまとった修業者をスーフィーという。スーフィズムスーフィーに由来するというのが通説である。スーフィーは,エジプト・シリア・パレスチナでキリスト教の隠遁修道士が行ったように,世俗の虚飾から離れ,個人的懺悔(ざんげ)を表すため羊毛の粗衣を着用し,禁欲と清貧のなかに生きようとした。タサッウフは「スーフィーとして生きること」という意味である。スーフィーは,禁欲と清貧の生活を送ることにより,神に対する無私の愛と信頼,愛における神との合一の境地を求めた。彼らは,「目前に神がいる」という神秘主義的感覚をもち,世俗の誘惑を退けて神による魂の救いを求め,何ものにもとらわれることなく神とともにあろうとした。イスラームはタウヒード(神の唯一性)を重視するが,スーフィーの説くそれは知識階級であるウラマーの説く論理や弁証としてのタウヒードとは異なり,その真理を身をもって体得し,神とともに実際に生きることを意味した。スーフィズム東方キリスト教,ヘレニズム(新プラトン主義),インド思想(仏教・ヴェーダーンタ哲学・ヨガ)などの影響を受けているが,本質的にはイスラーム内部の問題に対しておこった,一種の宗教的改革運動であった。スーフィズムが発生した時期には,イスラームの正統的教義の体系化が行われ,イスラーム法(シャリーア)もほぼ完成し,その執行者であるカリフを頂点とした古典的なイスラーム共同体が確立していた。イスラームの神学・法学の研究も専門化し,ウラマーの権威が高まった反面,彼らがイスラーム帝国の官僚制のなかに組み込まれ,神に対する奉仕者としての精神をしだいに失い,民衆から遊離しつつあった。このような信仰の形式化と世俗化のなかに宗教的危機を感じとり,禁欲的修業によって神に帰依(きえ)・服従しようとしたのがスーフィーである。

スーフィーの修行】スーフィーはさまざまな禁欲的修業を行い,神以外のものに対する執着を断ち切り,ひたすら神を求め,神との合一の境地に達しようとした。スーフィズムにおける禁欲的修業は,禁欲主義それ自体を目的とするものではなく,人間が神に近づくための精神的準備であったので,形式的に自己の行為を神の意志と命令に一致させるのではなく,内面的に神と自己とを隔てるすべてのものを取り除こうとした。スーフィーはこのため,一般のムスリム以上にムハンマドのスンナ(慣行・範例)を厳しく守り,禁欲的修業を行うことによって現世への執着を断ち,一途に神のみを求めた。そして,コーランの読誦・礼拝・祈り・瞑想・ジクル(称名)などを行ってつねに神を思念し,神とともに生きようとした。修業の具体的方法は,最初はスーフィー個人の創意にまかせられていたが,後に六つのマカーマート(神秘階梯)が定められた。[1]タウバ(懺悔),[2]ワラア(律法遵守),[3]ハルワ(隠遁)とウズラ(独居),[4]ファクル(清貧)とズフド(禁欲),[5]ムジャーハダ(心との戦い),[6]タワックル(神への絶対的信頼)がそれである。修業者は導師(シャイフ,ピール)の指導を受け,この階梯を一段ずつのぼり,倫理的に自己を高めていく。その上で最後に一切の雑念や雑行を避け,ひたすら「神よ(アッラーフ),神よ(アッラーフ)」「神に栄光あれ(スブハーナッラーヒ)」などと唱えて,思念を神に集中するジクルの段階へと進み,心を無にして神の恩寵(おんちょう)を待ち,自己をまったく意識しない状態に入る。これがスーフィーのめざす最高の理想的境地ファナー(消滅)の状態である。それはスーフィーにとって神秘的な神との合一体験であり,神とのふれあいである。このファナーの状態は瞬間的なもので長くはつづかず,サハウ(覚醒)の状態へと戻るが,ジクルを持続して行い,ファナーの状態を繰り返し体験することによって,スーフィーの心は神への感謝と喜びに満ちあふれ,神に対する愛と親しさが深まる。10世紀の殉教のスーフィーハッラージュが「われは神なり」といったことに示されるように,いまや神とスーフィーのあいだには意志の不一致がなくなる。このような神に近い「完全な人間」となったスーフィーがワリー(聖者)である。

【聖者崇拝】聖者という語はコーランでは,イスラーム信仰と生活の正しい具現者の意味で用いられているが,イスラームにおいて一般に聖者といえば,欲情の支配から解放されて理想的境地に達した神を知るスーフィーのことである。聖者は神に近い人間であり,神と人間の仲介者として,ウラマーのなし得なかった罪の赦(ゆる)し,救い,現世的利益などを神にとりなす。聖者は神から特別の恩寵を与えられるが,それがスーフィーの行うカラーマート(奇蹟)である。聖者にとっては他人の心の痛みや喜びが自己の痛みや喜びであり,彼らの活動は利他的,すなわち悩める民衆の精神的物質的救済に対する無償の奉仕となる。聖者は人々の苦しみや悩みを取り除き,願いごとをかなえてやるために最善をつくし,そのためにさまざまな奇蹟を行う。人々は神を知る聖者は奇蹟によって自分たちの願いをかなえてくれると信じた。12〜13世紀ごろからスーフィーが教団組織をつくって活動しはじめると,彼らは積極的に奇蹟とそれを行うバラカ(超人的能力)を誇示した。スーフィズムの聖者伝が奇蹟の物語で満ちあふれているのはこのためである。聖者のバラカはその死後も存在すると信じられ,墓・廟(びょう)・遺体・遺品などにもバラカが宿っているとされた。そして聖墓に参詣してバラカにふれると,ありがたい効能が与えられるといわれ,墓廟を中心に聖者崇拝が行われた。修業中のスーフィーまでも聖者とみなされ,その言動が絶対視されるようにもなった。このようなスーフィズムの展開により,ウラマーとスーフィーとの間にイスラーム法の軽視,奇蹟,聖者崇拝などの問題をめぐって対立が生じる。これに対して,イスラームの代表的ウラマーで後にスーフィズムヘ転向したアル=ガザーリーは,スーフィズムがイスラーム法に矛盾するものではないと弁護し,イスラーム法とスーフィズムの調和をはかった。彼はスーフィーとしての自己の体験にもとづいて,イスラーム法の知識と人間の理性の限界を明らかにし,真理と救いに達するためにはスーフィー的な生き方が必要であると説き,イスラーム法とスーフィズムは相互補完の関係にあると論じた。彼はスーフィズムこそが真理にいたる道であるとし,この観点から神学・法学を再解釈しようとした。またアル=ガザーリースーフィズムをすべてのムスリムに対して開放し,ムハンマドのスンナをもとに修業の方法を簡素化し,職業・階層に応じたスーフィーとしての生活プログラムも作成した。彼はムハンマドの信仰と宗教的体験はスーフィーの理想であるとして,ムハンマドの神の使徒としての地位を重視した上で,ムハンマドとスーフィーとはその境地において格段の差はあるが,両者の間に本質的な違いはないとした。スーフィズムはこのようにして正統イスラームのなかに位置づけられた。聖者崇拝もまた,民衆の期待に応じて徐々にムスリムの生活のなかに定着していった。

スーフィー教団とイスラーム化】聖者崇拝を促し,スーフィズムの民衆化を生みだしたのは,タリーカ(スーフィー教団)である。タリーカは特定の聖者を教祖としてつくられた教団組織で,本部の親教団を中心に支部が設けられ,そこから網の目のように別の支部が派生していった。教団は専従のスーフィーと在家のスーフィーとから構成されていた。後者は日ごろは生業に従事しているが,教団の修道場(ハンカー,ザーウィア)で定期的に行われる勤行に参加した。タリーカ発祥の地はイラクで,12世紀に成立したカーデリー教団を初めとして,以後,多くのタリーカが成立した。各教団の間には組織形態,修業方法や儀礼,政治権力やウラマーとの関係,支持階層などの面でさまざまな差異がみられたが,スンナ派に近い穏健な都市型教団(カーデリー教団スフラワルディー教団・メウレヴィー教団など)と,極端な苦業や集団的狂騒などを求める農村型教団(リファーイー教団・バダウィー教団・シャーディリー教団など)に分けられ,その数は40余に達する。1258年のアッバース朝滅亡によるイスラーム帝国の分裂と混乱の時代を背景に,多くのスーフィー教団が発生したことは注目すべきである。アッバース朝の滅亡はイスラーム共同体統合のシンボルの消滅であり,スルタンやアミールにイスラーム法の実現を期待することはできず,ムスリムは自己の心のなかで信仰を確かめざるをえなくなった。政治から離れた地域社会のなかで,彼らはスーフィー修道場を中心に結束し,ジクル,音楽に合わせて神秘主義的な愛の詩をきくサマー,円い輪をつくり頭や体をリズムに合わせて動かす儀礼,片足を軸に両手をひろげて旋回する舞踏などを行い,このような動作を長時間つづけていくうちに忘我・恍惚の境地へと陥った。神と接触しようとするスーフィズムの民衆化を生み出す要因はここにあった。スーフィー教団はイスラーム世界の全域にひろがり,その国際的ネットワークが形成され,それを通して活動が行われた。北アフリカでは,13世紀ごろからシャージリー教団などが活動し,同じころ,中央アジアではヤサウィー教団・メウレヴィー教団など,インドでもスフラワルディー教団チシュティー教団などが活動した。東南アジアでは,15世紀ごろからナクシュバンディー教団・シャツタリー教団などが活動を開始する。このことは,アフリカ・中央アジア・インド・東南アジアにおけるイスラーム化が,スーフィー教団の活動に負うところが大きいことを示すものである。オスマン帝国やインドにおけるイスラーム化は,武力征服によるジハード(聖戦)の形をとって行われたが,ここでもスーフィズムは無視できなかった。オスマン帝国イェニチェリ軍団ベクターシュ教団と結びつきが強かった。アフガニスタンのイスラーム王朝によるインド征服後,住民のイスラーム化を促進させたのはスーフィー教団であった。スーフィズムは都市の商人や職人・ギルド・軍団,血縁集団などと結びついて,地域社会を安定させることにも役立った。スーフィー化した商人は交易に従事しながら,商業ルートと教団の国際的ネットワークに沿って,アフリカ・東南アジア,また中国へもイスラームをひろめていった。このイスラーム化の過程で,スーフィズムは各地の聖所や聖遺物などを特定の聖者と関係づけ,非イスラーム的観念や呪術的な土着信仰などを聖者崇拝を通してイスラームと習合させていった。また人々をイスラームに改宗させていくため,生業に従事しながら修業する方法として,起床・洗顔・食事などの際に神を称える言葉や祈りの言葉を定め,これを絶えず口に出して唱えることによって,つねに神を思念させる方法がとられた。なお19世紀以後,改革主義的スーフィー教団が生まれ,ヨーロッパ諸国の侵入に対抗し,スーダンではマフディー教団,マグリブではティジャーニー教団が民族運動の中心となった。

〔参考文献〕R.A.ニコルソン 中村廣治郎訳『イスラムの神秘主義』オリエント叢書3,1980年,東京新聞社出版局

井筒俊彦『イスラーム哲学の原像』岩波新書,1980年,岩波書店