●イスラエル民族の宗教 イスラエルみんぞくのしゅうきょう
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イスラエル民族の宗教は,旧約聖書の宗教に代表されるが,両者は必ずしも同じではない。前者はパレスチナ諸宗教との混淆的傾向をもち,後者はその改革的要素をもつ。ヘブル諸部族がイスラエル民族として成立する以前から,諸部族はそれぞれの守護神を保有していた。アブラハム族は「アブラハムの神」,イサク族は「イサクのかしこむ者」,ヤコブ族は「ヤコブの力のある者」と呼ばれる神をもっていた。これらの神は「先祖の神」とも「全能の神」とも呼ばれている。出エジプト記は,〈わたしはアブラハム,イサク,ヤコブには全能の神として現れたが,主(ヤハウェ)という名では,自分を彼らに知らせなかった〉と記している。「ヤハウェ」とはおそらく「存在せしめる者」もしくは「共にある者」と考えられ,エジプトにおいて奴隷であったヘブル人の小さな部族を解放して,イスラエル民族として存在するに至らしめた神,またその民とつねにともにある神であるという信仰内容を表すものであろう。創世記1章の天地創造物語は,この信仰内容の神話化である。
ヤハウェはパレスチナ南部のエドム地方の山の神であったが,ヘブル諸部族が連合体を形成した時,彼らをエジプトから解放し,パレスチナに土地を与えた神として彼らの守護神となった(ヨシュア記24章)。この連合体はシケムという聖所を中心として形成されたゆえに「宗教的部族連合」(アンフィクチオニー)と呼ばれる。この部族連合の名が「イスラエル」であり,彼らは出エジプトという歴史的事件を通して,ヤハウェの「選民」という自己理解を得たのである。この連合体の特色は神とのあいだに交された「契約」にある。「十戒」に代表されるシナイ契約(出エジプト記20〜23章)は,この連合体の構成員が神の前に自由であり,平等であることを保証するものである。これが旧約宗教の根本精神であるといってよい。
前11世紀中ごろからペリシテ人の勢力が強まるにつれ,指導体制のない部族連合組織ではこの脅威に抗し切れなくなり,王政が採られイスラエル王国が成立する。しかし王政は神政(神王イデオロギー)という理想からの逸脱であり,支配者と被支配者という区別が生まれてシナイ契約の精神に反することから,宗教の側からの政治への目付役として「預言者」が出現した。とくにソロモンがイェルサレムに建立した神殿で行われていた祭儀に異教的要素が採り入れられていたため,預言者は政治的抑圧と戦うと同時に,異教的色彩の排除のためにも戦うことになった。イスラエルの預言者の機能は必ずしも末来を予告することにあるのではなく,特定の時代状況のなかに神の意志を告げることにあり,それはシナイ契約にもとづいた倫理的要求を基調としていた。
しかしいつの時代も異教との混淆的傾向は強く,このため預言者たちの指導によりヒゼキヤ王やヨシヤ王が大規模な宗教改革を行っている。ヨシヤ王の宗教改革は前621年に行われ,申命記を基調としていたゆえに「申命記的革命」と呼ばれている。
前721年のアッシリア捕囚と前587年のバビロニア捕囚は,シナイ契約を遵守しなかったイスラエルに対する神の審判と受け止められたが,そのゆえにバビロニア捕囚中から祭司を中心として,イスラエル宗教の諸伝承,とくに律法伝承の編集が始められた。バビロニア捕囚によって国家が滅亡したゆえに,イスラエルはその宗教によって民族意識を保持する以外になく,ここに律法伝承を中心とした宗教的民族が成立する。ユダヤ教であり,その聖典が旧約聖書である。このユダヤ教は民族主義と普遍主義のあいだを揺れ動きつつ,律法遵守のパリサイ派,より現実的・世俗的傾向をもつサドカイ派,禁欲主義のエッセネ派のような分派を生み出した。またペルシアのゾロアスター教の二元論的世界観の影響を受けて,黙示的・終末論的傾向をももつようになった。
〔参考文献〕H.リングレン,荒井章三訳『イスラエル宗教史』1976,教文館
M.ノート,樋口進訳「イスラエル史」1983,日本基督教団出版局