●イスラエル
アジア イスラエル国 AD
イスラエル国は地中海東岸に位置し,北はレバノン,東はシリアとヨルダン,南西はエジプトに接している。国土面積2万325平方km,人口約538万人(1996年)である。【地勢と気候】国土は地形的に三つに分けることができる。第1は南北に細く伸びる地中海沿岸平野で降雨に恵まれ,緑豊かである。第2は,北はガリラヤ地方の高原からイェルサレムを越えてさらに南にのびている中央丘陵地帯で,地味は豊かとはいえないまでも雨量も比較的多く,北では冬季に降雪をみることもある。第3は南部のネゲブ地域でその大部分が年間降雨量100mm以下の乾燥地帯であり,岩石砂漠となっている。このネゲブ地域はイスラエル総国土面積の半ばを占める。
雨季は11月から翌年4月までつづき6〜8月はまったく降雨をみず,厳しい暑さであるが,一般的には地中海性の温暖な気候であるといってよい。ただ,ネゲブ亜熱帯性である。
地形上特筆すべきものはヨルダン峡谷に位置する死海である。湖水面は海抜400m(1983)で,地表面としては世界最低の場所であり,かつ通常の海水が含有する塩分の7〜8倍という鹹水湖である。
【建国とその後】第一次世界大戦後トルコの支配を脱したパレスチナは,その後30年のイギリスによる委任統治をへて,1948年5月14日のイスラエル独立宣言を迎える。建国と同時に,これを認めない周辺アラブ諸国(シリア・レバノン・エジプト・ヨルダン・イラク)とのあいだに激しい戦闘が展開された(第一次中東戦争)。新生同家の生存を賭けた試練に生き残ったイスラエルは,1967年6月の6日戦争(第三次中東戦争)にも大勝を博してシナイ半島・ゴラン高原・中央丘陵部(ウェスト=バンク)および東イェルサレムを占領した。6日戦争に敗れたアラブ諸国はその威信にかけて1973年10月,ユダヤ人が終日断食して守るユダヤ教の大祭ヨーム=キプールの当日に奇襲攻撃をかけた。多数の犠牲者を出したこのヨーム=キプール戦争(第4次中東戦争)は,苦戦の末ようやく緒戦の不利を挽回し,前回より前進した地域で停戟した。1979年にはアメリカの仲介のもとにエジプト-イスラエル平和条約が結ばれ,両国間の国境が正式に確定した。その他の隣接国とのあいだには,いまだに停戦ラインがあるにすぎない。
国家間の戦闘とは別に,1960年代後半から激化したパレスチナ解放機構(PLO)その他のグループによるテロ攻撃は,つねに国内に緊張をもたらしてきたといってよい。
【増大する国防費と経済】内外のこのような情勢に対処するために軍事力強化に払う努力は,国家経済に大きな影響を与えずにはおかない。イスラエルの貿易収支と経常収支は建国以来つねに赤字であった。しかし1960年代前半までは経済成長も比較的順調な伸びを示し,雇用状態も良く,生産性も向上してきた。赤字は外国政府借款,国外ユダヤ人の援助などによって補われてきた。しかし6日戦争以後赤字幅は漸増し,対外債務が肥大化していった。その主因は国防費の増大にあり,政府防衛支出は1966年から1972年のあいだに実質4倍の伸長をみせていた。ちなみに1984年度の国家予算では,国防費は総額の17.6%を占め,債務償還額は32.5%にものぼっている。このような経済的不健全さは,1973年のオイルショックと同年に勃発したヨーム=キプール戦争が,恒常的な赤字財政に拍車をかけた結果であり,GNP成長率の低下,インフレの進行にもかかわらず,つねに防衛関連機材の大量輸入が避けられないという構造的要因をもつため,敗政再建は国家にとっての緊急事でありながら困難な課題である。1982年度の実質経済成長は年率−0.2%におちこみ,インフレは同年度131.5%,1983年度190.7%という状況である。北部国境地域の安全をめざした1982年6月のレバノン侵攻は初期の意図に反してイスラエル軍のレバノン領内駐留の長期化をもたらし,これも敗政圧迫の大きな要因となっている。
自然資源に恵まれないイスラエルは生産活動に必要な原料をほとんど輸入に頼る。しかも生産物に対する国内市場は限られているため輸出にとくに努力している。輸入した原石を研磨し,これを輸出するダイヤモンド産業は年を追うごとに伸長し,1982年度では輪出総額の20%を超す。その他柑きつ類を主とした農産物・ファッション製品・化学薬品・電子製品および機械類などをおもに輸出している。
【政治機構】イスラエルは議会制民主主義を基盤とした政治機構をもつ。議会は議席数120の一院制で,議会で選出される任期5年の大統領が指名する首相が内閣を組織する。建国後約30年間労働党連合が政権をとり1977年に保守政党リクードに政権を譲るが,いずれも単独で過半数をとることは難しく,少数政党との連立の形をとることが多かった。しかし政権交代のルールは確立している。経済的にも政治的にも米国との関係を最も重要視しているが,占領地への入植問題,アラブ諸国への米国の武器援助をめぐる問題,さらには中東和平への方策など,必ずしもつねに意見が一致しているわけではない。1984年の選挙後両者は連立して挙国一致内閣を組織している。
【移民と人口動態】この国の特殊性の一つは人口の急激な増大である。建国当初80万であった人口は35年問に約5倍となった。これは自然増のほかに,移民省を設けて政策的に第二次世界大戦のナチの魔手をのがれて生きのびたヨーロッパ=ユダヤ人と,アラブ諸国各地のユダヤ人を多数迎え入れたことによる。このほか新生ユダヤ人国家建設の理念をもって,自由で豊かな国から移住した人たちもいる。彼らは生活水準・教育レベル・言語・習俗などを異にしているため,政府は住居を提供し職を与えるばかりでなく,ヘブライ語の速修教育をはじめ,文化的統合への努力を傾けてきた。しかしこのような移民の多様な文化的背景は社会問題の一つでもある。
人口の大部分はおもに都市に集中している。イェルサレム・テルアヴィヴ・ハイファの3大都市居住者は総人口の40.8%を占める。地方の村落のうちキブツの,総人口に占める比率はわずかに3%であるが,1909年のデガニヤで最初のキブツが誕生して以来,キブツの理念がイスラエルの社会的・経済的・文化的生活に与えた影響は無視しえない。これは小規模の生活共同体で,住民全体が一家族のように集団ですべてを共有し,かつ民主的に全員の意志によって決定,運営される。農業を主体としていたが,農産物の加工をはじめ工業生産にものりだしている。
【宗教】全人口の84%はユダヤ教徒,イスラーム教徒は13%,キリスト教徒2%,ドルーズ教徒その他1%である。ユダヤ教は正統派のみで,国外ユダヤ人が多く信奉している保守派・改革派のユダヤ教は,この国ではまだ認知されていない。約7,000のシナゴーグが存在する。アラブ人の大多数はイスラーム教徒であるが,イェルサレムのエル=アクサ=モスクをはじめ約80のモスクで定例の礼拝・儀式が行われている。キリスト教は約30の宗派がみられるが,なかでもイェルサレムにはギリシア正教はもちろん,コプト教会・アルメニア教会・エチオピア教会など東方教会に属する宗教施設が多くみうけられる。なおハイファにはバハイ教の世界センターがある。
【日本との関係】日本がイスラエルを承認したのは建国後4年たった1952年(昭和27)であった。現在テルアヴィヴに大使館を置いている。日本とイスラエルはこれまで経済関係を主とし,1982年度では輸出1.86億ドル,輪入1.94億ドルで日本側の入超である。イスラエルの対外貿易に占める日本のシェアは輸出で3.7%,輸入で2.1%となっている。日本の輸入のかなりの割合をダイヤモンドが占め,日本からは機械類などの輸出が中心である。
1984年2月,日本−イスラエル議員連盟が設立された。これは両国国会議員の親睦をはかり,相互理解と友好親善関係の増進を目的とするもので,自民・新自由クラブ・社会・民社・社民連の衆参両議員あわせて約50名が参加した。会長に春日一幸民社党顧問,幹事長に中山正暉自民党代議士が選出されている。
〔参考文献〕中東調査会編『中東・北アフリカ年鑑1984〜1985年版』1984,財団法人中東調査会
ノーマン=ベントウィッチ,小林正之訳『再建のイスラエル』1960,早大出版部
アンドレ=シュラキ,増田治子訳『イスラエル』1974,白水社
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