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●出雲国造 いずものくにのみやつこ

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 『古事記』には,天之菩卑能命(あめのほひのみこと)の子建比良鳥命(たけひらどりのみこと)が出雲国造らの祖とある。大化改新以前に国造に許されていた国政上の地位は,改新以後は廃された。しかし『出雲風土記』によると,出雲国造出雲臣広島はなお意宇郡大領の任にあったという。『貞観儀式』に紀国造と出雲国造任命の儀式があり,出雲国造のそれが紀国造に比し,はるかにていねいである。これは奉斎する祭神大国主神の尊貴さもさることながら,国造の祖は天照大神の御子にあたるという,『日本書紀』や『古事記』の神話伝承に対する敬意の現れであろう。出雲国造の奉斎する神は,意宇郡の熊野大社の神櫛御気野命(くしみけぬのみこと)であった。『神祓令集解』は天神に出雲国造の斎(いつ)く神,地祇に出雲大汝神を挙げている。神話伝承では,天孫に国譲りした大汝神すなわち大国主神のために,壮大な神殿を営みその奉斎を,天神高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)が出雲国造の祖天穂日命(あめのほひのみこと)に命じたという。こうした伝承は,出雲国造は意宇を本拠としつつ,今日の出雲大社の奉祀にあたっていたということを語るものである。『仁徳天皇紀』に,出雲臣の祖淤宇の宿禰という人がみえる。このときは,意宇が本貫ということがわかる。

出雲国造神賀詞】出雲国造の宗教的権威は,この神賀詞の奏上ということによく示されている。出雲大社に奉祀する出雲国造は上京して任命を受けると,帰国して1年間の厳重な潔斎ののち,再び上京して天皇の大御世を祝して献寿の賀詞(よごと)を奏する。こののち再度1年の潔斎を重ね,またこの賀詞を奏する。このときの賀詞は,2度とも出雲国造が,出雲186社の神,わかれては熊野と杵築の大神になりかわって,神の賀詞を奏する。このことから,この賀詞に“神”という辞を特に冠する。本文は『延喜式』巻8に収められている。朝廷にあっても取り扱いは丁重をきわめている。奏上の日は諸司廃務・天皇の大極殿南庭出御・百官の会昌門外の列立などからも,朝廷の大儀であったことが知れる。神賀詞奏上の国史初見は,元正天皇の716年(霊亀2),出雲臣果安のときである。最後の記録は,仁明天皇の833年(天長10),出雲臣豊持のときであるが,廃絶の時期は明らかではない。1948年(昭和23)に,現出雲大社宮司千家尊祀(せんげたかとし)国造襲任に際し復興された。神賀詞の詞章は,〈白玉の如く聖寿は白髪ますまで,赤玉の如く御顔の血色はいつも赤らびまして〉と奏し,白玉赤玉を献上するのが例である。

【火嗣式】出雲国造の宗教的権威は,意宇の熊野大社の神から与えられる。国造の代替りに際し,新国造は杵築の国造館を発して熊野大社に参り,熊野の神から拝戴の火切臼火切杵とで聖火を切り出し,この聖火によりととのえられた神饌をもって熊野の神に奉り,自らもこれを口にする。国造の祖天穂日命の再誕出生である。この儀は,天穂日命永生のしるしにほかならない。したがって出雲国造家には,服喪忌中ということはない。拝戴の神火は杵築の国造館にもち帰り,斎火殿(おひどころ)に奉安して国造一生のあいだ,絶やすことがない。火は魂(たましひ)のヒである。国造の代替りは火の継承であるから,神火の拝戴を火継という。

【千家・北島の2流】出雲国造は代々受け継いで出雲大社の奉祀にあたってきたが,1344年(康永3)6月5日以来,千家・北島両流に分かれ奇数月は千家,偶数月は北島の国造が奉祀した。霊元天皇より永宣旨を賜わり,白川・吉田両家の統制を離れて独自の権威を主張し,熊野の神より拝戴の神火で厳しい潔斎を重ね上下から尊崇を受けて今日にいたる。1871年(明治4)の神社制度改正後は,出雲大社の奉祀は,千家国造が宮司としてもっぱらあたることとなった。

〔参考文献〕千家尊統(せんげたかむね)『出雲大社』1968,学生社

山田孝雄『出雲国造神賀詞義解』1960,出雲大社