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●出雲信仰 いずもしんこう

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 出雲信仰とは幽顕の思想で,そのもとづくところは『日本書紀』の神代巻にある。天孫降臨に際し,大国主神がこの国土を天孫に奉還し,これより天孫は顕露の事を治め,大国主神は幽事を治めることに決した。かくて現世は天孫ならびに天孫の子孫たる天皇が,幽世は大国主神の主宰するところとし,幽顕二元生死二元の世界観が日本人の思考のなかに形成され,発展していくのであり,しかもかかる思考はわが古典であり,国家の正史にもとづくがゆえに高い信憑性をもって受け取られていった。『古事記』の神話伝承に伊邪那岐命が黄泉(よみ)の邪神に追われたとき,黄泉との境をなす坂に巨石を置いて往き来を遮したのであるが,その黄泉比良坂(よもつひらさか)は出雲の国の伊賦夜坂(いふやさか)であるという。『日本書紀斉明天皇紀に,狗が死人の手臂を言屋社(いふやのやしろ)に噛い置ける妖事を記して,天子崩御の兆であるといっている。言屋社は出雲国意宇郡の官社である。出雲が幽事に深い結びつきをもっている,という観念のひろがりを語る記述である。後世の神道家や国学者・思想家がなす幽顕論も,こうした観念の発展展開である。神無月に諸国の神々が出雲に集まり,神議りがなされるので,出雲では十月を神在月(かみありづき)と呼ぶという俗話が生まれる根拠でもある。文献上の初見は『看聞御記(かんもんぎょぎ)』1425年(応永32)10月30日の條にある。出雲にくる神は出雲大社に集まるといわれ,このため大社境内に東西19社が境内摂社としてある。1396年(応永3)の『大社三月会本式用途帳』に38所とあるのがそれである。こうした伝承を踏まえて神々の神議りの期間を御忌祭(おいみまつり)といって静粛を第一とし,歌舞音曲を停止,謹しみの日々を送る。

出雲大社教】神代伝承にいう幽顕分任の思想を受けて,これを宗教として組織したのが千家尊福(1845〜1918)である。第80代国造・出雲大社大宮司であった。1882年(明治15)太政官が神官教導職の分離を令するや,大社宮司を辞して布教活動に挺身した。説くところ,天津神が幽顕分任を定めたのは,神人を判然として各その職を全からしめるためで,大国主神は幽事を主宰して八百万神を統べ,天皇は,顕事に君臨して億兆を総括されるのを幽世から協力支援を惜しまない。かくて人民は益々生息し繁栄し国家はいよいよ開明にすすむのである。これ天津神が幽顕を分任せしめた高遇な神慮なのであるから,この国土に住む者は天皇を戴き,国法を遵守して生業に励み,幽には大国主神の冥慮を信じて疑うことなきが,顕の国民のつとめであり,死しては大国主神の膝下に参じ,大神の幽政の手伝いをするのである。霊魂は神賦である。幽から出た者は幽に還るのである。幽冥主宰の大国主神に依頼して惑うべきではない。かくて人は幽顕一如一体,不易の永生を楽しむことができる,というのである。神社神道は生の宗教といわれ,死の問題を考慮することが浅い。出雲大社の教学その信仰は,生とともに死の問題を解決しようとするのであって,神話伝承以来の国民信仰の伝統に立脚するものといってよい。

【思想的意義】光明と暗黒,善と悪,清と穢,天と地というように双分主義的思考法が日本人の思惟の特色をなしている。大和は顕,出雲を幽に配するのも,こうした思考法によるものと思われる。大国主神は天神に対する地神であり,底津根の国にあって上津国に荒び疎びくる邪霊を圧服し,青人草の過ち犯せる諸々の罪穢を呑み失いて,上津国をしてつねに清明に保たしめるというはたらきを,大国主神高皇産霊神(たかみむすひのかみ)から命ぜられているという古代日本の思考の基本的な原則から,出雲を幽に,高天原と日向ひいては大和を顕に配当するようになったのである。幽顕を一体にして不離とするところに,わが国びとの生があるとするのである。

〔参考文献〕神道学会編『出雲神道の研究』1968,神道学会

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