●韋昌輝 いしょうき
アジア 中華人民共和国 AD1823 清
1823?〜56 太平天国の指導者。広西省桂平県の人。原名は韋志正・韋正。壮族の出身とも客家(はっか)ともいう。地主階級出身の知識人で,国子監生の地位を得ていたが,周囲の地主と対立して1848年(道光28)拝上帝会に参加。洪秀全・馮雲山らと義兄弟となり,天父の第6子を称し,家財を献じて武器を製造した。1851年(咸豊1)太平天国の蜂起とともに右軍主将となり,永安において北王に封じられる。1853年(咸豊3)太平天国が天京(現南京市)に都してより外交事務に参与し,また東王楊秀清との対立を深めた。1856年(咸豊6)清朝側の江南大営を撃破したのち,江西督師として進撃したが,江西省高安県で天王洪秀全の密詔を得たとして帰京し,9月天王府を襲撃して楊秀清や家族・部下など多数を殺戮した。ついで翼王石達開や天王を攻撃して果たさず,11月逆に誅殺された。この“楊韋内訌”という内部分裂によって殺された将兵と家族は2万人を超え,太平天国の革命運動に甚大な打撃を与え,衰退のきっかけとなった。