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●石原莞爾 いしはらかんじ

アジア 日本 AD1889 明治時代

 1889〜1949(明治22〜昭和24)日本ファシズムを代表する1人。山形県出身。1909年陸軍士官学校(21期),1918年陸軍大学校を卒業し,1921年陸大教官。右翼的日蓮信仰をとる国柱会の正式なメンバー。1922〜25年ドイツ留学,デルブリュックなどについて軍事史を研究。まもなく,世界的な規模の徹底的な破壊ののち,人類は統一され天皇中心の平和に到るという〈世界最終戦論〉を構想。1928年その構想にもとづき関東軍参謀(作戦主任)に赴任,国内陸軍幹部の一部と提携して満州事変を強行した。「満州国」建設の立役者の1人。1935年参謀本部作戦課長,1936年二・二六事件鎮圧に参与,1937年作戦部長。民間の宮崎正義に依託して生産力拡充計画を練り,国策のレベルに反映させる。しかし,日中戦争不拡大ならびに簡素な強力内閣樹立に失敗して,1941年陸軍中将で退役。これより先,1939年東亜連盟運動を開始してこれを指導し,日本・天皇を戴くアジア提携の考えを実践に移そうとし,東条英機独裁に批判的な立場をもとった。第二次大戦後,極東軍事裁判では起訴されずに終わる。

〔参考文献〕角田順編『石原莞爾資料』全2巻,原書房

松沢哲成『日本ファシズムの対外侵略−石原発爾と「民族協和」運動』三一書房