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●石川島 いしかわじま

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 寛政年間,一種の職業訓練施設的性格をもった人足寄場の設けられた場所。東京都中央区月島にある。初めは隅田川の中洲で鎧島の名で呼ばれた。のちに佃島の一部となる。寛永年間,幕府船手頭石川大隈守正次(八左衛門)が家光より拝領されたことから名がおこった。寛政年間老中松平定信の命により火付盗賊改役長谷川平蔵が人足寄場を設けた。天保の大飢饉に際し,拘留場としての規模も拡大され,人足数百人が技術習得につとめ社会復帰にむけての前進基地としての役割を果たした。世に佃島の獄と評されるところがあったが,3年間の職業馴練が終了すると,もとでとして5〜7貫文の銭を与えられ身寄りのもとへ引きとられていくところであった。明治時代には徒刑場から監獄署と変化し,1895年(明治28)巣鴨に移ることによりその役割は終わる。なお,幕末時水戸家により造船所が設けられ,今日の石川島播磨重工業東京第一工場となっている。