●石井−ランシング協定 いしい−ランシングきょうてい
アジア 日本 AD1917 大正時代
1917年(大正6)11月2日,ワシントンにおいて,日本の特命全権大使石井菊次郎とアメリカ合衆国国務長官ロバート=ランシングとの間にかわされた中国に関する日米共同宣言。内容の要点は,[1]アメリカは,中国ことに満州における日本の“特殊権益”を承認する。[2]アメリカ・日本両国は,中国の独立主権・領土保全を侵害せず,門戸開放・機会均等主義を支持するというもの。日本が第一次世界大戦の間隙をぬい,中国の植民地化をはかって“二十一カ条の要求”を押しつけたことに対するアメリカの掣肘(せいちゆう)の意味があった。しかし,アメリカが日本の特殊権益を経済的意味に限ろうとしたのに対し,日本は政治的利害をも含むものと解釈した。1921〜22年アメリカの提案でワシントン会議が開かれ,極東・太平洋問題に関する“九カ国条約”によって,日本の特殊権益は否認され,翌1923年4月,協定は廃止された。