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●伊沢修二 いざわしゅうじ

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 1851〜1917(嘉永4〜大正6)近代音楽教育の確立,吃音矯正に業績をあげた明治・大正時代の教育者。信濃国高遠藩士の家に生まれる。19歳で貢進生となり23歳で愛知師範学校校長。翌年米国に留学,音楽と視話学を学ぶ。帰国後,28歳で東京師範学校長。同年音楽取調掛に任命され,体育・音楽教育・盲唖教育・教員養成等,教育行政に精力的に取り組んだ。留学時,指導を受けたメーソンと協力し近代音楽の確立に尽力,「小学唱歌」教科書の検定・編集,出版も手がけた。明治23年には東京音楽学校長,東京盲唖学校長を兼ね,「国家教育社」を設立して国家主義教育を鼓吹,教育勅語の普及につとめた。27年には学制改革を主張,日清戦争で得た台湾に渡り民政局学務部長。勅選貴族院議員としても学制政革に当たった。晩年は視話法による吃音矯正の社会事業に力を注いだ。「紀元節・皇御国」の作曲。進化論の訳出。明治15年には「教育学」を著した。

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