●生野銀山 いくのぎんざん
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兵庫県にあり,17世紀前半を最盛時とした第l級の銀山。1542年(天文11)発見され,石見銀山の技術関係者が初期採鉱に当たったとの伝えがある。織田信長,ついで豊臣秀吉の直轄。徳川家康は代官を派遣,のちに幕府領としての採鉱が幕末まで続いた。1621年(元和7)に佐渡金山の仕法を取り入れ出鉱を山主分と分納分に歩合分け,採鉱を伸ばしている。元禄ごろには,代官・元締,手代・鉱山方・地方諸務地役人などの掛役人が置かれた。秀吉の時代,伏見への運上銀量は第1位,天和〜宝永期の1カ年平均の産銀高621貫余という。天保〜安政期のそれは280貫余と最盛期には比すべくもないが,天和〜安政期までの灰吹銀の出高合計を8万1432貫余と算出され,ほかに銅・鉛も産する。1坑だけで1カ月の運上銀137貫余を請けたともいわれる1683年(天和3)の算銀量は,元禄上方繁栄の要素として無縁でない。明治維新後は政府直轄,明治29年三菱に払い下げられ,今日も採銀が行われている。
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