●生田万の乱 いくたよろずのらん
アジア 日本 AD1837 江戸時代
1837年(天保8)6月l日,生田万(1801〜1837)と同志の6人が,越後柏崎の桑名藩陣屋を襲撃し,占拠を企てた事件。生田万は上州館林藩出身の武士で,江戸にて遊学して平田篤胤から国学を学び,帰国後藩政を批判したため追放された。下野太田で家塾を開いたあと,1836年越後柏崎に移り,ここで桜園塾を開き国学を教えた。時に天保飢饉がおこり,米価が急騰して貧民の生活が窮迫した。翌天保8年2月19日大坂で大塩平八郎の乱がおこり,その情報は全国にひろまった。大塩の義挙に共感した万は,同志を集めて「奉天命誅国賊」「集忠臣征暴逆」の二流の旗をかざし,途中刈羽郡荒浜村から9人の農民を加えている。陣屋へは大塩平八郎の門弟と名乗って突入したとされている。しかし戦闘は短時間で終了し万らは敗死した。この事件は7月におこった摂津の百姓一揆らとともに,大塩の乱の影響を受けた事件として封建領主層に大きな衝撃を与えた。